春吉省吾のブログ

物書き・春吉省吾のブログです。マスメディアに抗い、大手出版社のダブスタに辟易して一人出版社を営んでいます。おそらく、いや、世界で最もユニークな出版社だと自負しています。

新年に思う、「並ぶ」と「待つ」 VOL.51

 

f:id:haruyoshi01:20190119182627j:plain●上野寛永寺水観音堂   2018.12.20

f:id:haruyoshi01:20190119182626j:plain●清水観音堂近くの梅が咲いていた。2018.12.20

f:id:haruyoshi01:20190119182623j:plain上野の森美術館 フェルメール
2018.12.20 随分久しぶりでこの美術館に行った。フェルメールの作品は8点から9点ほどだと思ったが、何れもそんなに大きな作品ではないので、観覧者が動かないと、後ろの者はよく見られないのだ。
「光の魔術師」といわれる作品のライティング効果が、やや強すぎると感じた。

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代々木八幡宮にて、初詣の準備は万全。2018.12.24

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代々木八幡宮にて、年越し茅の輪潜り。2018.12.29 
正月の初詣は、階段の下まで長い行列が続く。

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●2018.12.24 新宿のビル群が見渡せる私の定点観測の場から。この日は晴天だった。

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●2018.12.25 手術後、外来診療の行き帰りに、この光景を何度となく目にした。お陰様で、この日、半日がかりの検査結果は良好で、この光景も今年の見納めだ。

 

 ここ4~5年、初詣は行かないことにしている。年末から年始は家の中の新年の行事だけで、いつもと殆ど変わりなく、机に向かっている。それに寒い中、何時間も並びたくないという個人的理由による。 
 事務所には、結構大きな神棚があって、毎日お世話をしているから、取りたてて元旦に行くこともない。私の氏神様は「代々木八幡宮」でも「明治神宮」でもいいが、「代々木八幡宮」が私の日常のウォーキング・ジョギングコースなので、身近な氏神様としてここに決めている。既に12月24日にジョギング・ウオーキングのついでにお札を受けてきた。横着だというなかれ。これが氏神様との接し方だと思っている。一年間お世話になったお札や注連縄は30日に、お焚き挙げのために持参した。「御宿かわせみ」で知られる作家、平岩弓枝さんは代々木八幡宮の一人娘として生まれたが、現在娘の平岩小枝さんが権禰宜を務めておられる。5年前渋谷居合道部会の15周年式典で部員全員の刀のお祓いをして頂いた。
 私の理念は、縄文精神文化としての古神道が本来あるべき神道という考え方だから、神社本庁が昭和23年策定した「作法」などには拘らない。慎みを持って参拝すればそれでいい。日常の生活の中に私の「神道」がある。だからそれを実践しているだけなので、かたちある「神社」にも拘らない。
 ウォーキングの道筋の一つに、甲州街道から山手通りに入り、代々木八幡宮から、井の頭通りを大きく迂回して家に戻るおよそ8千歩から1万歩になるコースがある。ご存じの通りこの辺りは、テレビで取り上げられるケーキ店がたくさんある。この辺りの店から一度も購入したことがない私なので、美味いか不味いか判らないが、この日は2、30人が店の前に人が並んでいた。今日がクリスマス・イブだと実感した。それにしてもケーキ購入のために並ぶんだなと、改めて思う。なにも、12月24日の日に、ケーキを食べなくてもいいものをと思う。
 クリスマスの翌日、26日のテレビで、食品リサイクル工場に、1日400~500kgもの売れ残りのケーキが、ケーキ工場や百貨店、スーパーなどから、運ばれてくる様子が放映された。豚の餌になるという。全国で廃棄されたケーキは、数10万トンになるかも知れない。近年、「インスタ映え」のために大きめのクリスマスケーキを買って、ろくに食べずに捨てる罰当たりもいるという。
 30年近く食品イベントの裏方で、冷凍・チルド品の膨大な試食品の廃棄処理を嫌と言うほど見てきた私には、「もったいない」が実感できる。それにしても恵方卷や、バレンタインチョコ、クリスマスケーキ、おせちセットなど、その売れ残りを想像するに、何と無駄で、贅沢で、無知なことをしていると思う。資本主義の拡大再生産の末路を見るようだ。このロスは、回り回って、日本人一人一人の金銭的な損失だけでなく、精神の鈍化・劣化に一層の拍車をかけていることを知るべきだ。(「言挙げぞする」に具体的なことを記載しています)
 甲州街道の初台、幡ヶ谷辺りはラーメン店の激戦区だという。美味いと評判のラーメン屋は昼時になると、いつも10人から20人ほど並んでいる。1時間以上も「並んだ」あげく、5分で食べ終わるのに人は並ぶ。
 私は並ぶのか嫌いだ。災害などで命を繋ぐ水や食料の配給のために「並ばなければならない」などは例外だが、気が短いのか、堪え性が無いのか、人間が出来ていないのでとにかく嫌いだ。
しかし自己評価すれば人よりも遙かに辛抱強い性格だと思う。私の中で「並ぶ」と決めれば、どんなに長時間であっても覚悟を決めて並ぶ。私の物差しで、「並ぶ」に価しないと判断すれば、その無駄な行為に時間を使わない、ただそれだけのことだ。
 日本人の多くは、何やら飼い慣らされた羊のように従順に並ぶ。それはある種の「美徳」なのかも知れないが、どうもそれだけではないような気がする。
 世間の評判に踊らされて並ぶことが、イベントのようになっている。そこに明確な意志があるのだろうか。
 12月20日に「フェルメール展」を見てきたが、場内整理がまずいこともあって、「並んで」「待った」あげく、名の知られた絵の前では、人の流れが滞って動かない。主たる原因は、中高年層の観覧マナーの悪さだ。「立ち止まらないでください」といっても動かない。
残念ながら、この行為に限らず、慎みを持たない日本人が多い。そこからは「美徳」の欠片も見えない。並んだ、見てきた、人が多かったと、自己満足するのは勝手だが、あなたは展示物の「何を見たのですか」と問いたい。私もその中高年齢の一人だが、同輩として情けない。彼らの来し方は、いつも何かに踊らされ、自分の頭でじっくりと考えてこなかった方々だろう。

 

 この30数年、決して群れることはせずに、老いても「個」として生きていけるように、我流、独学であらゆる分野を囓ってきた。原典や経典に立ち向かって、何度もはね返されて現在に至っているから、決して誉められた学び方ではないが、少なくとも自分の頭で思考できるよう努めてきた。「横並び」の発想とは違う、ず~っと深いところから物事を考えられるようになったと思ったのだが……。どうも学の囓り具合が悪かったのか、結局のところ多くの時間を費やして判ったことは「判らないことが、判った」ということであった。
 だが、それは正しい学び方だった。比較するのもおこがましいが、ソクラテスも「無知の知」として同じことを言っているし、「論語」のなかで孔子も「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」と言っている。


 この先、孤立せず、孤独を楽しみ、我を張らず、我を忘れずに、物書きとして発信していきたい。幸い、ライフワークである、長編歴史・時代小説「四季四部作」の最後の作品「秋の遠音」は今年半ばには上梓できそうだ。その後の作品は、エンターテインメント性を高めた先鋭的な時代小説「初音の裏殿」をシリーズ化していく。高齢化社会の中、読者の孤独で貴重な時間を、楽しくわくわくして欲しいと念じなから、机に向かって構想を練っている。
 末尾になりましたが、皆様にとって今年も、良い歳でありますよう、お祈り申し上げます。
                            春吉省吾 ⓒ  2019.1.1 

 

 

 

春吉省吾の平成30年 VOL.50

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●第22回関東甲信越居合道大会

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●同大会表彰式 (2018.11.24)

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●同大会の六段個人戦で5人抜きし、賞状をいただきました。ちょっと照れています。(2018.11.24)

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●長編歴史・時代小説「秋の遠音」の時系列の年表。寛政元年(1789年)から明治38年(1905年)迄の登場人物に関する事項を、人物事・年代事に書き込んで作った巻物です。2つあわせると10メートル程になるでしょう。最初の卷はもうボロボロになってしまいました。

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●渋谷区剣道連盟居合道部会創立20周年記念演武「夢想神伝流・奥伝〈信夫〉」左は越湖六段(12.1)

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●関東梅苑会(福島高校の関東地区同窓会)学年幹事会。私を挟んで左は皆川さん右は佐々木先輩(12.4)

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全日本弓道連盟名誉会長・範士十段の鴨川信之先生が、11月27日に逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。(享年95歳)
2ヶ月前にお電話でお話ししたばかりでした。
7年前に、長編時代小説「冬の櫻」を贈呈したところ、激賞いただきました。それまで本格的な弓道小説が日本に存在しなかったので、大変喜んで頂きました。写真は平成28年(2016年)2月末に、長崎の御自宅に伺った時の写真です。弓道の国際化をはじめ、現在の弓道発展の道筋をつけられたいわば、「昭和・平成にわたる弓道中興の大人物」です。
私が錬士審査を「立射」で受審していて、なかなか合格できなかったのですが、ようやく合格して先生にご報告すると「私も25年以上審査員として係わっていたが、立射で合格したのはおそらく君が初めてだよ」とお話し頂きました。その後、立射で教士や錬士審査で合格される方も出て来ましたが、先の小説とあわせ、私が先鞭をつけ、先生に認められたことを光栄に思っています。
2年前に御自宅にお伺いしたとき「『一日百射』稽古しているよ」と93歳とは思えない矍鑠とした先生でした。御自宅で2時間近く色々なお話しを伺って参りましたが、私のような者にこんなことまで話されていいのかなという内容もございました。何れ時が来たら、皆様にお話しすることもあるかと思います。

 

ひと言で言うと、私にとって大きな節目になった平成30年でした。
 昨年(平成29年)の11月の半ばに癌が見つかって、平成30年の年明け早々に手術をすることになり、年明けは、小さな平口のお猪口にたった一杯の「元旦」でした。
 この癌(膀胱癌)に対しての情報が少なく、次男の友人、大学病院の泌尿器科で最新の医療情報を持つ南医師に、二度ほどご相談する機会を得ました。セカンドオピニオンとしての意見、いやそれ以上の具体的な指針をいただいて、心に余裕が出来ました。
 しかし年内に片付けなければならない懸案事項があって、何度か出張しましたが、その間、血尿が止まらず、尿取りパッドや、紙おむつの優劣も、否応なしに勉強することになりました。

 この癌について、多くの文献や症例を参考にしましたが、他の癌と比べて再発率が非常に高いことと、術後の抗癌剤治療が特異な病気だと知りました。
 松田優作さん、菅原文太さん、ボクシング元世界チャンピオンの竹原慎二さんも膀胱癌の患者です。最近では、ワイドショー・キャスターの小倉智昭さんが、二度の膀胱癌手術のあと、再発し膀胱全摘するという発表は記憶に新しいところです。


 1月の上旬に、自宅から近い新宿の総合病院に入院し、1回目の手術の後、組織検査の結果、あまりたちのいい癌ではないというので、2月の末にもう一度手術をしました。その結果によって、膀胱全摘も覚悟してくださいと医者から宣告されました。その1ヶ月半は、生死観について、深く考えた時期でもありました。
 万が一のことがあれば、書きかけの長編歴史・時代小説「四季四部作」の最終作品「秋の遠音」は未完になるな、書き始めたばかりの「空の如く」や「初音の裏殿」は、私の頭の中だけで終わるなと思いながら、昨年の春から書き始めていた随筆集「言挙げぞする」は何としても仕上げなければと、病室にノートパソコンを持ち込んで、纏める努力をしました。


 そんなことから、「言挙げぞする」は、自己の生死観について、一見雑談のようなところから、既存の仏教、儒教神道など、従来の誤謬とその本質を、易しくしかし、あまり独善的にならずに記載しました。学者や、研究者、宗教家とは全く違った、日常の暮らしの中から、日本精神の基層の特質を冷静に見ていこうとする、私自身の実践してきた等身大の考え方です。
 「ごまめの歯軋り」と嗤うものは嗤えという心境で纏めました。何れ拙著が、認められることもあると信じています。それに我が実践思想(「心身経営学」も含めて)の本質を理解してくれる人物が、私のあとを引き継いでくれるその種蒔きの役割もこの冊子が果たすかも知れません。


 お陰様で、2度の手術後に、BCG療法という抗癌治療を6回行い、検査の結果、残存癌はないと告げられ、一安心いたしました。ただ、補助療法として更にBCG療法を行いましたが3回で中止しました。一般の抗癌剤治療よりも副作用が厳しいことは、最初の6回で体感していましたが、補助療法の3回は、発熱と、血尿と、30分に1度の頻尿が収まらず、とても普通の日常生活ができなくなって、中止しました。
 病気や怪我は、どんなものであっても、それぞれ特有の辛さがありますし、比較することは出来ません。ただ、人は病気になって初めて「健康」の大切さを思うのでしょう。
 人は、健康を損なわれたことで、否応なしに自分自身と向き合うことになります。その向き合い方は様々ですが、癌という病気は、その時間を我々に与えてくれます。少なくとも私にとってはそうでした。急性心筋梗塞脳卒中、交通事故など、一瞬にして生命を奪われてしまうとそうはいきません。
 病気の後、私にとってのQOL(Quality of life:クオリティオブライフ、「生活の質」「生命の質」)とは何かと整理し、本気で人生の再構築を図らなければと思いました。
 今回の病気は、私に与えられた絶好の機会と前向きに考えています。
 あと何年生きられるか、その間何を優先し、何を切り捨てていくか、何処まで質素に生きられるか、何を何のために残すのか、それが我欲になっていないかなどと、基本に立ち返って自問します。その立ち返る場所を自分の中に作っていくことが、生きることの意味だと思います。


 今年は、入院手術と、リハビリと大きな節目の一年でしたが、新刊上梓もしましたし、何よりあらゆる考え方・行動の基本となる哲理とじっくり向き合えました。それは私の日常の生き方を大きく変えたようです。見えなかったものが、不思議と見えてきたりします。
 例えば、趣味の弓道も居合も、呼吸と業がバラバラで、自分の中で溶け合わなかったのですが、稽古を再開した10月から、かつてなかった、ある感覚を得られるようになったのです。いつもそれが出来れば、「名人」の域に到達するのでしょうが、凡人の悲しさでそうは行きません。しかし、そのゾーンに入ると無心になれて、弓でいえば、余分な力が抜けて、離れは自然で、射形も美しく、必ず的中します。居合では、仮想の敵をはっきり捕らえることが出来ます。一皮剥けたのかも知れませんが、まあ薄皮です……。残念ながら年齢からくる変形性肩関節症が辛いです。


 来たるべき平成31年度は、長編歴史時代小説・四季四部作、最後の「秋の遠音」の上梓と、「初音の裏殿」シリーズ第1作の脱稿等、計画していることがたくさんあります。それらを、焦らずに、しかし迅速に着実に仕上げていきます。また、私の処女作「永別了香港」の改訂電子版も、アップしていきたいと思います。ご期待ください。
 平成30年はVOL.35から今回でVOL.50まで(VOL.49の「まとわりつく嫌な感じ」は長くなりましたので、リーフレットに纏めるため、未発表です)、15の文章をアップしました。息抜きで書いたもの、本気で書いたもの、啓蒙・PRを兼ねたものなど多岐にわたりましたが、お読み頂きまして誠にありがとうございました。
 読者の皆様にとって、来る平成31年度は、稔りの歳になりますことを記念して筆を措きます。
                                                                                     2018.12.16      春吉省吾ⓒ

言挙げぞする~朽ちた紅葉~ VOL.49

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 VOL.48を飛ばして、49を皆様にお届けします。実は、VOL.48は「纏わりつく嫌な感じ」というタイトルで書き始めましたが、きちっと章立てして読者の皆様へ私見を述べようということになりました。400字詰め原稿用紙で150枚ほどになります。身近な「様々な問題」を歴史的に比較検証して、読み応えのあるミニ冊子にしようと思っています。
 さて、今年の東京の紅葉は、かつてない激しい暴風雨の塩害によるものなのか、赤系の落葉樹が中途半端に枯れて無残な姿です。辛うじて、生命力のある銀杏が黄色い色を付けていますが、勢いはありません。
 毎年見慣れた風景ですが、今年は私にとって「劣化」を超えて「醜い」と映りました。
 私自身、この11月に誕生日を迎え、肉体的な衰えは勿論、記憶力減退、気力の維持などは確実に劣化していると自覚しています。せめて「劣化」から「醜悪」にならいように、日常的にかなりストイックなトレーニングや思考法をしています。
 今回は恥ずかしながら、その一端をほんの少しだけ話題にします。
 今までは、自分自身や家族を犠牲にして、世間体にかかずらうことが多々ありましたが、病気を機に止めることにしました。「公職・名誉職」などは一切お断りすることにしました。あと何年生きられるか、あと何作創作できるかと逆算して、体重管理や食事の買い出しから調理と殆ど自分でやっています。私の健康にとって一番の問題は「睡眠」です。これまでの4、5時間の睡眠では、疲れが溜まって、抵抗力がなくなり、病気を誘発します。最近は、疲れが溜まったときは、二度寝をしても、決して無理をしないことにきめました。しかし何十年と、睡眠導入剤を利用し、午前2時3時にやっと就寝という、生活習慣病の典型のような生活をしてきましたので、そう簡単に11時に寝て、6時に起きるという「健全」な生活に是正できるはずもありません。 
 漸次、午前1時までに就寝するのが目標です。
 作家の五木寛之氏は、昼と夜の真逆な作家生活を送っておられるようなのですが、あのお歳(86歳2ヶ月)で、頭もクリアです。NHKの午前中の番組出演のために、寝ないで出て来たというから、その気力は凄いものです。ちなみに同年同月同日生まれの石原慎太郎氏は8時間睡眠を取らないと機嫌が悪いというから、比較するまでもなく五木氏の方がはるかにシャープな頭脳を持続しておいでのようだ。どうやら生活習慣病の定義は、杓子定規に決められるということでもないらしい。 週2回、午前中の弓道の稽古日以外は、雨が降らなければ、一日1時間20分、ジョギング・ウォーキング、公園のベンチを利用して腹筋40回、更に居合の立ち技のシャドー稽古をすると、真冬でも汗びっしょりになります。帰り道に、夕食の食材買い出しも済ませます。
 トレーニングをしない弓道稽古日の方が、身体は重いと感じます。遅めの朝食と昼食を兼ねた献立はその日の気分次第ですが、納豆と生野菜とヨーグルトだけは欠かしません。外食は、カロリーがコントロールできないので殆どしません。
それ以降、外出の予定がない限り、夕方の6時半まで机の前から動きません。夕食を作って、食事をして7時半からまた机に。生活のリズムが全く違う妻は、週3回夕食を作ります。
 同世代の方々と比較して、頭が多少クリアでいられるのは、日常の雑事を人任せにせず、想像力と感性を働かせているからでしょう。
 例えば、同じ納豆でも、メーカーや、様々な品種、大粒、中粒、小粒、ひき割りなど、超高級品から特売品まで、全国で何百種類もあります。しかし、毎日食べるものだから、価格も大きな要素となります。何百と試した結果、私好みの納豆は自ずと決まります。
たかが納豆ですが、そこには「流通・マネジメント」の全てがあります。スーパーによって、取扱いメーカーや、値段の差、搬入のリードタイムも大分違うのです。私の周囲にある、半径1.5キロ内のスーパー10軒に限っても、それはわかります。
 「そんな細かな事にガタガタ拘るなんて」と思った方は、頭がマンネリ化して日常を惰性で生きている方です。「納豆」一つ取っても、メーカーの創意工夫、流通の進化、最前線が見えてきます。
 表層だけみて、そんなもんだと鈍感になってしまうと、地に着いた経済活動や経営活動から遊離してしまいます。細部に心配りの出来ない人間が、豊かな人生を送れるわけがないのです。
 大袈裟に言うと「ひとりひとりの何気ない日常の中に全事象があり、それが体得できれば、それだけ世界が、宇宙が見えてくる」のです。
 あるいは「神は細部に宿る(God is in the details)」とは、モダニズム建築で名高いドイツの建築家ミース・ファンデルの言葉と云われていますが
「細部の論理を維持していくことで、全体の論理が機能する」という意味でしょう。この場合の「神」とは「大いなる存在」あるいは「絶対的な存在」と言い換えることもできます。「細部」とは、我々の日々の行動の細部、人生の細部ということです。

「細部へのこだわりを実行に移す」というこの発想は、最近ではデザインの分野のみでなく、スポーツやマーケティング、モノ作りの分野からエコロジーの考え方まで広く言われだしました。もっと範囲を拡げると「武芸」も能、歌舞伎などの「伝承芸能」もその基本は同じです。
 経営学で言う、物づくり、サービス業、「お客から始まり、お客で終わる」というサプライチェーンも、武芸、芸能あるいは禅などの「呼吸に始まり呼吸に終わる」という日常修業も実は同根なのだという認識を持って頂きたいのです。正しい基本を維持するためには、つねにブレを修正する調整能力を磨くことが大切です。微細で微かな変化を感じ取れる身体感性を維持し続けるために倦まず努力をすることです。(ここは大事な部分です)
 20年前に私が提唱し、講座を持った「心身経営学」とはこういうことです。

 それはどういう意味なのか、歴史を遡って、その一端を見ていくことにします。
天才といわれるごく一握りの武術家は、瞬時に身体感性を体得できる人間です。天才の中の天才、宮本武蔵は13歳から29歳までに60数回の決闘を行い、無敗だったそうです。しかしその宮本武蔵も、年老いて中津藩主・小笠原長次の後見として島原の乱に出陣して、一揆側の投石で脛を負傷し戦線離脱してしまいました。
 年老いて、修正・調整能力が失せ、飛び道具には弱かったということです。
 考えて、実践し、また考えて、実践していく、その調整活動が、正しい設計(戦略・戦術)に基づきなされたときに、その武術家は、「名人」になれるわけですが、歳と共にその思いは強くなっても身体が言うことをきかなくなります。

 能の大成者、世阿弥能楽論「風姿花伝」の第一に「年来稽古条々」というものがあります。
人生50年といわれた室町時代世阿弥は人生を7歳から7分割し、自らの限界を知る心こそが、奥義に達した者の心得であると述べています。60歳まで現役で舞台に立ち、80歳まで生きた世阿弥
 44、45歳の頃は、 「もしこの頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ」とこの時期、衰えてなお、輝くものがあれば、それこそが「まことの花」なのだと述べています。
 そして「我が身を知る心、得たる人の心なるべし」と自らの限界を知る心こそが、奥義に達した者の心得であると述べています。
風姿花伝」の最初に、「稽古の条々、大概しるし置くところ」として、
「一、好色、博奕、大酒。三重戒、是、個人の掟」
「二、稽古は強かれ、情識は無かれ、となり」とあります。一は言うに及ばずだが、二の言葉はじっくりと吟味しなければなりません。
 「情識」とは、慢心に基づく強情な心という意味です。世阿弥は、繰り返しこのことばを使っています。世阿弥にとって、「芸能とは人生をかけて完成するものだ」という考えなのです。
 そして「年来稽古条々」に書かれた最後の言葉は「『老骨に残りし花』の証拠なり」とあります。
 父観阿弥が52歳の時、最後に舞った能を見た時の世阿弥の言葉です。
 老いて頂上を極めても、それは決して到達点ではなく、常に謙虚な気持ちで、さらに上を目指して稽古することが必要だと、世阿弥は何度も繰り返し語っています。
 誠に慢心ほど、人を朽ちさせるものはありません。

 「劣化」を超えて「醜悪」になってしまったこの日本社会、指導者は言い訳・弁解のオンパレードです。彼らの心の底には、いずれも慢心があります。慢心とは、偏った思考に遮られ、己が見えず、激しい思い込み、おごり高ぶった心をいいます。慢心の裏には猜疑心とギラつく野望、劣等意識が常にあります。
 中途半端な「慢心」は実は一番質が悪い。日本だけではなく、朝鮮半島の、韓国の文在寅大統領と北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長の2人も危うい。
 本業の不動産投資の延長のような思いつきで、保護貿易固執しすぎるトランプ大統領。結局、自分で自分の首を絞めそうな予感です。
 強烈な中華思想をその基本として習近平国家主席が主導する「一帯一路」構想。莫大な先行投資をして、背負い込んだ負債は地球規模の「負債」となっています。今後も米中両大国の経済の軋轢は更に厳しくなり、今のところ両者妥協する気配はない。果たしてどうなりますか。 
 実は、米中の対立は、日本が一番とばっちりを受けることになります。日本は「劣化」を超えて、はや「醜悪」が、いろいろなところで顕在化していますが、「日本」という国家力としてはまだ世界に影響力を持っています。ここ数年がその限界点と思っています。
だからこそいまここで、日本の基層精神性をじっくりと考えてみることが必要です。その考え方の基本とプロセスは、私の「言挙げぞする」をご覧下さい。下手な学者の言よりも、遙かに役立つと自負しています。(是は「慢心」ではありません。年のため)
 何れにしても「ごまめの歯軋り」と落ち込まず、根気強く「言挙げ」し、私のようにいろいろと主張する人間がいてもいいと思っています。
 「老骨に 残りし一葉 紅冴えて 散るも残るも 霧の天風(あまかぜ)」(省吾)。
                                                           2018.11.20  春吉省吾 ⓒ
●2018.11.20東京世田谷区の公園で
今年の東京の落葉樹は、腐ったような紅葉が多い。
●2018.11.3福島市の「福島県立美術館」に続く遊歩道。毎年この時期に訪れるが、鮮やかさは、東京都心とは随分違うが、今年の紅葉は劣化していると感じた。
●2018.11.3福島県立美術館
義父と義母の法事のあと、時間が余ったので常設の「ルオー」と面会にいったのだが、「ルオー」の数点は外されていた。特別展の「佐藤玄々」展が開かれていた。東京日本橋三越の「天女像(まごころ像)」 は有名だが、木彫、彩色木彫、ブロンズ、墨絵とジャンルも広く、凄い才能の持ち主と知った。小物の木彫は絶妙の存在感があった。「基本」が出来ていれば、職人としての表現が異なるだけだ。能力があれば、表現に素材の壁はないのだろう。
玄々の哲理を見た思いがした。
穏やかな日曜日の午後、観覧者は疎ら。じっくり鑑賞できたのはいいが、はたして喜んでいいのかどうか?
まあ、東京の展覧会は中途半端に知ったかぶりした人集りを見に行くようで、疲れるし、かまびすしい。思いがけない「特別展」、私にとっては最高の展覧会だった。
●2018.11.19近くの散歩道。寒椿。紅白。

 

 

「秋の遠音」と「初音の裏殿」 VOL.47

 

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写真の説明

●谷中の墓地への入り口の一つ
●谷中のお寺「天王寺
享保年間には富くじ興行が許可され、湯島天満宮目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わい、広大な敷地を持っていました。上野戊辰戦争では、彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。

●谷中の墓地の近くをロケーションしたのは、この近くに「初音の裏殿」の隠れ家の場所を設定するためです。
●谷中の墓地は、有名な人物が多く眠っていますが、最初に目に付いた墓が、何と「高橋お伝」の墓でした。
稀代の毒婦と言われた女です。ご興味があれば、ネットで調べて下さい。
 かと思うと、実直そのものの「日本植物学の父」といわれた、牧野富太郎博士のお墓もあります。谷中の墓地はお墓マニアにはこたえられない場所でしょうね。
鶯谷駅下の交差点近くのレストランに何気なく入ったが、ここのビーフシチューが美味かった。有名店でないところに入って、そういう出会いがあると、実に得した感じになる。

●友人のグループ展示会を拝見するために、久しぶりに銀座へ。一年半ぶりの銀座は、すっかりかわってしまった。もともとの田舎者が、更に田舎者になったようだ。
 昼食を、同伴した友人に御馳走になったが、どの店も賑わっていた。日本はお金持ちの国なのだなあと、つくづくおもう。
●右は「對間新吉画伯」の3作品。

 

 私事ですが、お陰様で病気も快癒し、現在体力増強をはかりつつ、長編時代小説四季四部作の最後の作品「秋の遠音」を鋭意執筆しています。

 物語の後半、「大牟田弁(正確には三池地方の言葉)」を使う人物が登場します。大牟田出身の作家の作品や、方言集やCDなどを参考にして、「会話」を書き進めています。しかし江戸期の方言は、現在では正しく検証することは不可能に近く、そこにあまり拘ると小説が成り立たなくなってしまいます。
 妥協点をどこにおいて記述するかという判断も大切です。

 今から7年前のこと、四季四部作の最初の作品「冬の櫻」をお読みいただいた読者の一人から、
 「何十年も会津に住んでいるが、先生の作中の会津弁は、違うのではないか」
 という指摘を受けました。しっかり読んでいただいている証拠だと思ったものです。
 実は、初代会津藩主の保科正之公の時代は、信濃高遠3万石から、出羽山形20万石を経て、陸奥会津23万石と、石高が急増して、前領地の武士を雇い入れないと藩政が出来なくなる事態になりました。異母兄の三代将軍家光の信頼を得て急成長したからです。  
 当然、地縁(言葉の違い)などによって、姻戚もグループ内で行われ、派閥が形成されます。
 「初代正之公の時代は、会津武士といわれる一枚岩のものではありません。私の小説に出て来る会津言葉は、出羽山形を出自とするグループと、地元百姓衆の使う2種類を使い分けていますが、現在使われている会津弁とは大分違うはずです」
 と説明し、納得いただきました。江戸期の方言表記は、時代、身分の違いなどによって大きく変わってきますので、実に難しいです。

 さて、「秋の遠音」は1万石の奧州下手渡藩・三池藩の物語です。下手渡藩については、地元の方もどういう理由でこの藩が成立したのかあまりご存じないようですし、現在の大牟田市から見れば、「下手渡」という言葉も「?」ということでしょう。
 昨年、前の仁志田昇司伊達市長が、下手渡で開催された私の講演会にお見えになり、
 「この小説が出来あがり、その縁で、伊逹市と大牟田市の交流が、一層盛り上がるといい」
 と仰有っておられましたが、上梓したあかつきには、須田博行新市長にも、両市発展・交流の起爆剤として拙著を役立てて頂ければありがたいです。
 物語は、11代将軍家斉、寛政の改革で知られる松平定信の時代からはじまります。
 弱小一万石の三池藩藩主立花種周は、政争に巻き込まれ、突然の蟄居の後、嫡子種善は奧州下手渡に移封されます。「下手渡藩」は現在の福島県伊達市月舘町を中心とし、川俣、飯野、霊山にまたがる小さな領地です。筑後三池と、奧州下手渡とはおよそ370里も隔たり、気候も風習も言葉も違います。
  時代は下って幕末。嘉永4年(1851年)、下手渡藩一万石の内、3078石を返上し、旧領地5ヶ村の5071石の藩地替えとなります。主人公の吉村土肥助(春明)が先発として、三池に赴任します。三代下手渡藩主は、当時数え16歳の立花種恭(たねゆき)です。
 石炭採掘で財をなした塚本源吾と深く交わった土肥助は、のちに禁門の変に敗れた真木和泉の影響を強く受け、尊皇攘夷思想に染まっていきます。しかし、土肥助は志を折って、藩主種恭の側に仕えることになります。やがて種恭は、三池炭鉱の増産により、資金を得て、若年寄に出世します。その後種恭は、幕府要職を次々と務め、将軍慶喜の時、ほんの数ヶ月でしたが、老中格にまで進みます。
 種恭は十四代将軍家茂、前述の十五代将軍慶喜小笠原長行、松本良順の縁から新選組近藤勇土方歳三小栗忠順などとかかわります。
 一方、土肥助は、三池と下手渡を何度となく往復する旅の途中で、旅籠を同じくする坂本龍馬とも顔見知りになります。
 また、土肥助と朋友である奧州下手渡藩を守る国家老の屋山外記は、やむを得ず奧州越列藩同盟に参加します。そうしなければ、仙台・米沢・二本松・相馬などの大きな藩に忽ち潰されてしまいます。三池は早くから勤皇になり、下手渡は佐幕の一員となり、藩は真っ二つとなります。
 弱小藩故に、 時勢を読まないと、藩そのものが忽ち危機に陥ります。藩主は勿論、家臣と家族、領民にとってどうすれば最善の策なのか、それぞれに悩み考え乍ら、遂に激動の幕末、明治維新を迎えます。

 原稿用紙2000枚以上に及ぶ、四季四部作の「長編時代小説」シリーズはこれでようやく完結します。各作品は、時代も背景も違いますが、季節の「春・夏・秋・冬」のそれぞれに深い意味を持たせたつもりです。これら「超長編」が読者にとって、人生のスパイスとなり、楽しんでいただければ嬉しい限りです。
 これまで私は、小編や中編を書かずに、頑なに「超長編」に拘りました。その主たる動機は、高齢になってから長編を書いた著名な作家先生方の作品の多くは、ストーリーが単調で、陰鬱で、説教調に陥る作品が多いのです。超長編を書く気力が喪失してしまうからでしょう。
 そうならないように、私は、長編はむしろ最初に書くべきだという強い執筆意志を持ち、ここまで実践してきました。次作からは、中編、小編が主となります。
 私の次のライフワークは幕末期の 「初音の裏殿」という架空のアウトローの中編物語です。

 主人公に「からみ合う人物」が毎回変わる15から20篇程のシリーズ物です。判りやすく言うと、吉村昭先生のような正確な史実を土台にし、池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」などの大衆小説のエキスを採り入れ、疾風怒濤の幕末を、主人公が躍動します。
 これまで幕末の英雄と思われていた人物が「敵役」になるかもしれません。面白い作品作りの予感に、闘志がふつふつと湧き上がる反面、半端な苦労では済まないと腹を括っています。
 長崎、佐賀、大阪、京都、三河、江戸と日本のみに留まらず、琉球、香港までも舞台として、幕閣、尊攘家、豪商、皇族公家を含め、あらゆる階層の人間模様を描く物語になります。今から「お国言葉や公家言葉」に悩まされるに違いないと覚悟しています。お楽しみに。春吉省吾ⓒ

 

 

 

春吉省吾・平成30年9月の近況 VOL.46

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 9月となりました。東京はいまだに暑さが続いておりますが、皆様にはお元気で御活躍のことと存じます。
  私事ですが、病気再発の確率を少なくするために、年齢と体力を無視して、追加の維持療法を受けたのですが、3回目の7月31日に実施した副作用が強く、結構辛い思いをしました。何事も先を焦るといい結果にはならないようです。回復におよそ一ヶ月ほどかかりましたが、お陰様でようやく現状に戻りつつあります。
 また7月に入って、夜寝ていると右肩が鈍く痛み出し、病院に行ったら変形性肩関節症と診断されました。簡単には治らないようです。痛み止めの湿布をしても、余り効きません。可動域が少なくなったのを知った上で、筋力アップとストレッチをしています。一晩寝れば自然に治るという若さは失われ、この先「違和感」を自覚しつつ、年齢とどう向き合ったらいいのか、否応なく知らされることになりました。
 それはいみじくも、今年の5月に上梓した「言挙げぞする」という哲理的随筆集の執筆主旨と一致します。
 つまり我々日本人が今まで盲信してきたことを洗い直し、自分の置かれた立場と能力を知って、「次善策でよし」とする柔軟な思考を持つことです。
 国力も、経済力も黄昏期に入り、今までの即物的な倫理観や道徳観では、自己を律することが出来ません。上っ面だけだと忽ち馬脚を現してしまいます。昨今、社会的地位にあった(と本人も周囲も勘違いしていた)人達や、協会や連盟と言われている組織で、様々な不祥事が明らかになっていますが、これは氷山の一角です。
 また 「勝ち組」「負け組」など、いまだに経済的勝ち負けに拘っていている日本人の何と多いことか。笑止である。「いい加減に判れよ」といいたいのですが、拙著の読者以外は、その意味するところをよくご理解いただけないかも知れません。
 ともあれ、これからの時代、「負けないため」にどうするかと考え続けるそのプロセスの中から、人生の深い意味を知ることが出来るはずなのです。  
 しかし従来の日本人が持つ、歴史観・宗教観をもってしては、常に喉の奥に小骨が刺さっているような状態が続くことになります。
 「言挙げぞする」では、例えば、従来までの仏教・儒教神道などの、偏頗な思い込みや慣習を破らなければ、「新たな視界は広がりません」と、その基本をやんわりと記述しました。
 いずれもう少し踏み込んだ続編を書くことになるでしょう。
                                      さて、現在の執筆情況ですが、
 四季四部作の長編時代小説「秋の遠音」は上巻部分(400字詰めの原稿用紙で700枚)を書き終え、現在下巻の280枚ほど書き進めています。寛政年間から明治25年まで、およそ90年間の物語です。今年中には脱稿出来るでしょう。来年前半には上下巻にして上梓したいと思っております。
 これで当初計画したライフワークの「春夏秋冬」の歴史小説もようやく終了です。これらに登場する主人公は全て実在の人物ですが、殆ど資料の残っていない人物達でした。取材や資料集めから、執筆、編集、販売と「超長編」の四部作を、挫けずにやり遂げてきたなと、自分を誉めています。最後まで気を緩めずにこの「秋の遠音」も感動作にしたいと思います。
 「初音の裏殿」も書き始めました。幕末期、旗本6千石の架空の主人公を軸に据え、善悪を飛び越えたアウトローの物語です。西郷も、勝も、龍馬も、大久保も、岩倉も、明治の「偉人」といわれる人物達は、果たして「そんなきれい事だけの人間か!!」というのが、作家春吉の立場です。
 上記偉人達への手放しの信奉者には、とんでもない物語になります。膨大な資料の読み込みが必要ですが、これら歴史上の有名人達は資料に事欠きませんので、いかに楽しく読んでもらえるかというのが、この執筆テーマです。
 主人公は、皇室の血を引く、領地持ち旗本という設定ですので、孝明天皇の祖父にあたる光格天皇の御代から、皇族、公家のことを調べましたが、とても一筋縄ではいきません。
 主人公は、幕府も、朝廷も、薩長も、日本を翻弄させた海外列強、禿鷹のような外国人貿易商、三井、住友などの豪商達を相手に、とんでもない「怪物」ぶりを発揮します。このような主人公を幕末の歴史の中で活躍させることは、物書きとして限りない快感です。歴史的事実はきっちりと抑えながら、クールなエンターテインメント中編として、シリーズ化していきたいと思っています。                                                                 平成30年9月2日
                                                                                      春吉省吾
◆写真説明
●8月7日、福島在住の母に会い、墓参の後、時間が余ったので飯坂町の大鳥城跡を訪ねた。源義経の郎党、佐藤継信・忠信兄弟の父、佐藤基治(元治)の居城であった。基治は鎌倉方の伊達朝宗(伊逹家の祖)によって討ち取られ、首を阿津賀志山経岡に晒されたという。
●誰も居ない大鳥城跡本丸の空間、「クマに注意」の看板に少し怯む。
福島市内の公園には放射能測定器が設置されている。この場所は0.110マイクロシーベルト/時。国の基準は、0.24である。この基準の是非は素人の私には判らない。
●8月28日、東京国立博物館で開催の「縄文」展を見てきた。混んでいた。縄文時代を1万3千年前からと断定していたが、考古学の進歩により、常に変化するというのが正しい認識だ。(私は暫定1万4千年前とする)
●ダイナミックな土偶、土器類は、中国・黄河文明メソポタミア西アジアの出土品と比べても、その立体感・独創性は群を抜いて凄い。我々全ての日本人には縄文の血が、2割以上入っているのだ。詳しくは拙著「言挙げぞする」を参照してください。

言挙げぞする~人智の及ばざる処だが、それを悪化…… VOL.45

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●平成30年6月18日の大阪北部地震からそう日が経っていない7月5日午後2時、気象庁が緊急会見を開き、「非常に激しい雨が断続的に数日間降り続き、記録的な大雨となる恐れがある」と最大級の警戒を呼びかけた。この日から西日本の広い範囲で大雨となり、甚大な被害となった。7月9日に気象庁は「平成30年7月豪雨」(西日本豪雨災害)と命名した。
7月18日 14時現在、NHKの取材によると今回の記録的な豪雨で、これまでに広島、岡山、愛媛を中心に、216人が死亡し、15人の安否が不明という。心よりお見舞い申し上げますという以外に言葉がみつからない。被災地域の1日も早い復興をお祈りします。
被災地をはじめ、列島はうち続く熾烈な暑さにぐったりしている。

 

●この現象はCO2による人為的地球温暖化説など吹っ飛んでしまうような、地球環境の恒常的な変動の時期に入ったと認識している。
昨今、多くの科学者の主張によれば、CO2等の原因による地球温暖化説とは違い、今後、地球全体が寒冷状態になるという。地球環境の苛烈な変化はその氷河期に入り始めた初期の現象で、猛烈な暑さや、寒波、大雨、旱魃等の激しい気候変動はこれから10年から20年程続き、やがて平均化し気温は着実に下がり、今後200年から250年間続くというのである。興味のある方は、最近の科学論文を見て頂きたい。
また、地球そのものが活発化し、世界規模で地殻変動が起きている。日本も当然、いつ巨大地震や火山の噴火が起こっても不思議でないその真っ直中にいる。
何れにしても、何時何処でとのような規模で天災が起こるか判らない。全て後追いなのだ。


●地球は人間(の文明)によって気温や気候が変化させられるのではなく、それらはすべて地球と宇宙が持つ時間的なサイクルの中で決められている。気候の変動に関しては「太陽」が大きく関与し、全て「地球」は受身にしかすぎない。いわんや、そこで生きている人間を含めた生命体も、その影響下にある。
つまりは悠久の天地の在り方は人智の及ばざる処と解釈すべきだ。
天災を避けることは不可避だが、先の東日本大震災で東電が犯した原発事故のように、減価償却期間を越えて稼働すれば丸々利益を得られるというような姑息な手段によって天災を更に助長させる様な人災を決して生じさせないように、情報のオープン化、指導者達の意識を根本から変えていくしかないのだが……。


●「気球温暖化説」を取ろうが「氷河期説」を取ろうが、向こう10年間の気候変動は、今まで以上に激烈な、熱波と寒波が交差する気候になる。
さて東京オリンピックは2020年7月24日(金)~8月9日(日)に開催される。パラリンピックは、2020年8月25日(火)から9月6日(日)までの開催。
よりによってなぜ猛暑の時期に開催するのか?
ここに来て、屋外での競技時間を早めるような、小手先の変更をしているが、選手や屋外の観客にとって過酷なことには変わりはない。
気候の良い、梅雨前の春や、台風の来襲が一段落した秋にどうして実施しないのか。
理由は簡単、全て「銭の世界」なのだ。オリンピックはもはや、銭に群がるハイエナたちの集金システムと成り下がり、IOC(国際オリンピック委員会)は莫大なTV放送権料やスポンサーを獲得するための機関であるからだ。
世界中のスポーツ大会を見てみると、8月中旬からは欧州各国でサッカーのリーグ戦が開幕する。9月は一番多く放送権料を払うアメリカでNFLが開幕する。メジャーリーグポストシーズンに入る。10月はアメリカ・メジャーリーグワールドシリーズが始まる。6月は欧州サッカー、ユーロ(欧州選手権)がある。この時期と重複しない期間が上記のオリンピック開催期間というわけだ。


●オリンピック組織運営の裏側は、こんなものだ。いくらアスリートファーストをテレビやポスターで宣伝しようが、どうにも違和感を禁じ得ない。
IOCJOC(日本オリンピック委員会)の役員達の金臭い顔は見るに堪えないし、さらにその背後には様々な代理店はじめ巨大な利益を貪る企業集団がおり、その下請け、孫請け、曾孫請けが仕事に群がり、それを政治的に利用する人物が跋扈する。マスコミはじめ、あらゆる団体が「美しき感動のオリンピック」と鼓舞する。この実態を指摘すると、非国民扱いを受けてしまう。


●このオリンピックという代物は、絶対失敗がない。失敗しても「失敗無しと強弁できる」のだ。シンボルマークや競技場設計のやり直し、過大な水増し見積もりなど、様々な問題があったがいつの間にかあやふやになってしまったではないか。いい加減なことをやっても、全て隠蔽しJOCの役員以下誰も責任は取らない。
本来ならば、JOC会長以下、開催都市である東京都の担当者達は総辞職して然るべき問題なのだ。(その点では、小池東京都知事は頑張ったと評価していたが、豊洲問題と自分の政治的野心を絡めてしまい、最後の詰めが出来なかった)
違約金・水増し工事など、支払わなくていい金額が、数百億円余分に支払われている。これらは全て税金で補填される。そうして「日本中が感動し、素晴らしい大会であった」と幕引きするのだ。その後に起こる日本国民への負債や、過剰設備投資による不況、建造物の恒常的維持費の負荷などお構いなしだ。
オリンピックというイベントが残り2年後を切った今こそ、我々日本人は冷静に考えるべきなのだ。1964年に開催された第18回夏季オリンピックとは、置かれた状況が全く違う。当時の国威発揚と現在の日本の置かれている環境は全く異なっている。


●これらオリンピックの一連の背景を知るにつけ、私は法華経の「従地涌出品」第十五を思いおこす。
「善く菩薩の道を学びて、世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し。地より涌出し、みな恭敬の心を起して、世尊のみまえに住せり」とある。
(汚れ切った世間にあっても、 汚れず清らかなかれらは、あたかも蓮華が泥水の中から出て来て華を咲かすように、今日ここに集まってきたのだ。)
「如蓮華在水」という法華経の中でも、有名な部分である。
私は仏教者ではない。法華経経典としての意味づけから外れるが、法華経を漢語に翻訳・創作した、鳩摩羅什の苦悩と汚辱に満ちた経験に沿った解釈をする。

●泥水のオリンピック組織の中で、アスリート達は蓮華の花である。青春の全てを賭け、己を信じて、オリンピック選手に選出されるために厳しいトレーニングを積み、命の限り戦う。その動機はさまざまだが、自分自身と戦い、あらゆるものを捨てて、オリンピックという場に上る。
2020年夏季オリンピックでは、33競技339種目が実施される。パラリンピックは22競技537種目が開催される。
人間が全てを賭けた姿は美しい。肉体的にも精神的にも限界まで鍛え上げ、運にも恵まれた勝利者は、まさに泥水に咲く蓮の花だ。勝利を信じて、戦い燃焼する姿に感動しない者はいない。そして日本人が金メダリストになれば、我が事のように誇らしい。メダリストになった勝者は人生の中でも輝ける瞬間であるに違いない。


東京オリンピック・2020大会ビジョンは「スポーツには世界と未来を変える力がある」というものだ。そして3つのコンセプトは
「すべての人が自己ベストを目指し(全員が自己ベスト)」、 「一人ひとりが互いを認め合い(多様性と調和)」、 「そして、未来につなげよう(未来への継承)」 を3つの基本コンセプトとし、史上最もイノベーティブで、 世界にポジティブな改革をもたらす大会とするというものだ。
このビジョン、コンセプトはあまりに陳腐だ。ここまで見てきたようにIOCJOCの組織の実態とは、対極のアイロニカルな言葉である。
コンセプトの3つ目(未来への継承)のなかで、「東京2020大会は、成熟国家となった日本が、今度は世界にポジティブな変革を促し、それらをレガシーとして未来へ継承していく」とある。
IOCは「Olympic Legacy(オリンピックレガシー)」という考えを提唱し、それにより競技施設やインフラ整備が図られ、人々の利便性が高まり、より豊かな暮らしになっていくという。この「オリンピックレガシー(遺産)」という発想は、今や時代遅れのモノ思考で根本的にずれている。


●かつてオリンピックを開催した都市は、その後、競技施設の維持費にどれ程苦しんだか歴史の知るところである。我々東京オリンピックに課せられたポリシーは、将来に向けた、無形の資産を形成、具体化することがイノベーティブで、ポジティブな実施コンセプトだ。それが本来オリンピックに求められるもので、「法華経の慈悲のこころ」に通ずる。
蓮の花に昇華したアスリートの陰に、不運にも夢が叶わず、朽ち果てた種子がどれほどあったろうか。日々の暮らしに不安を抱えながら、オリンピックを目指すが、不幸にもオリンピック出場もかなわなかったアスリート達の、第二の人生を補助できないようでは、成熟国家とはいえない。敗者となったアスリート達を掬い上げる経済的組織を作り上げる智慧が必要だ。それこそが「法華経智慧」ではないか。挫折を糧にして乗り越えようとする人材が、次世代の日本を担うもっとも必要な人材なのだ。無駄に使われ、おそらくこれからも無駄に使うであろうそのコストをあらかじめ先取りして、恵まれなかったアスリート達の経済的援助をする財団を作るべきだ。但し、くれぐれも官の天下り先にならないような組織にしなければならない。


●既に日本に残された、時間と資金は限られている。
PwC(プライスウォーターハウスクーパース)というイギリス・ロンドンに本社を置くコンサルティング会社が2017年版最新の 「2050年経済大国予想ランキング」を発表した。
それによると日本は大幅ランクダウンして、世界8位という。1位中国、2位インド、3位アメリカ、4位インドネシア、5位ブラジル、6位ロシア、7位メキシコ、8位日本、9位ドイツという結果が出た。
現在3位の日本が、2030年代には急速に国力が衰え、2050年には8位の地位に甘んずるという予測である。経済力に頼ってきた日本は「金の切れ目が縁の切れ目」となって、他国に対する発言力が一気に激減する。
実質GDPシェアは1990年当時、世界経済 の中で15%を占めていたが、2050年には3%弱になる。銭のばらまき外交は出来なくなるのだ。
人口急減、超高齢化は、いかんともしがたい。加えて、日本の低成長経済と膨らむ負債、日本全国の中小都市の殆どが、シャッター商店街になり、日本のマンションがスラム化し、道路や橋梁などのメンテナンスも出来なくなる。オリンピックで作った「箱物」はどれ程国力を圧迫するか普通の想像力があればわかる。「レガシー」が負の象徴、「廃墟」になる。


アメリカはトランプの保護貿易のような目先のごり押しで、国力昂揚をすればするほど力が削がれる。アジアの秩序を左右する中国は、虎視眈々と日本の国力低下を狙っている。しかし中国も、実体を伴わない資本投資でこのまま一体一路政策を推し進めると、経済不調に陥る。2020年代に分裂、崩壊すると予想する学者もいる。
現在、習近平体制の独裁が加速化しているが、国内外の民主化勢力の弾圧、IT・ビッグデータ管理で農民の不満を未然に察知し抑え込もうとしているが、そうはいかない。
後漢黄巾の乱、 唐末の黄巣の乱、 元末の紅巾の乱、 明末の李自成の乱、 清中期の白蓮教徒の乱、清末の太平天国の乱など、中国共産党政権が最も怖れているのは、今も昔も農民だ。
中国共産党は、民主化勢力と農民が結びつくことに神経を尖らせているが、早晩その箍は外れる。日本は、この先これらの国々と微妙なパワーバランス政策を採り続けなければならない。


●そして、日本が、中国、インド、アメリカにとって未来を決めるための変数になり得る間に、即ち影響力があるうちに、日本人として何をどうするかという根本の哲理を持たないといけない。
拙著「言挙げぞする」は、私の思想の一部を要約し、卑近な例を用いて記述したが、それを急がなければならないのは、この一文に記載したとおりである。
今後、世界を変える技術革新は、情報技術、機械化と生産技術、資源管理技術、そして医療技術の4つであるという。〈「2030年 世界はこう変わる」(米国国家情報会議=編)〉
なるほど、これら4つの技術革新は、今後の日本の未来に確実に影響を与える。しかし、日本国民として、江戸・明治・大正・昭和・平成に至るまで、複雑に絡み合った、儒教、仏教、道教神道は様々な夾雑物と混じり合って、日本哲理の物差しが役に立たなくなってしまった。その物差し(価値を判断する基準)を使えるようにするには、日本人一人一人が宗教観について、きっちりと考えることである。私は多くの日本人が腑に落ちるような哲理は、原始神道(古神道)の中にあると結論づけた。原始神道は、決して国家神道神社神道ではない。
明治から昭和初期まで、完全に排斥されていた縄文文化は、柔軟で粘り強い、あらゆることを包含し、強靱な思想である。縄文のDNAをもつ我々日本人にはその精査こそが必要なのだ。拙著「言挙げぞする」にその一部を記載した。是非読んでもらいたい。


●地球上の自然の猛威は「人智の及ばざる処」だが、それを悪化させ、更に加速させているのは、残念ながら「強欲と不浄の革袋である人間のあざとさ」だ。
権力欲に取り憑かれた指導者が、口先三寸で、事実を隠蔽し、日本に残された最後のチャンスを無駄に潰すのは許しがたい。安倍晋三はオリンピックまで居座り、歴史的「箔」を残したいのだろうが、昭和の妖怪と言われた、祖父の岸信介にはまだ確たる信念があった。
自民党も、連立を組んでいる公明党も、権力に取り憑かれるとこうも堕落するのだ。参院定数6増改正案成立やカジノ法案「IR」法案の強行採決など「末期症状」だ。あるべき国家デザインに逆行し、これ以上国力を削いでどうするのだ。南海トラフト・東海大地震・富士山大噴火などひとたび起きれば、今のままでは日本は、壊滅する。GDP8位に留まるどころか、巨大負債国に成り下がるだろう。
野党もひどい。ステレオタイプな批判がニュースで放映されると、チャンネルを変える。

●その権力を支えているのが中央官僚達だが、せっかく優秀な頭脳を持って生まれた彼等の官僚としての矜持は何処へ行ったのか。優秀な頭脳とは、単に「情報処理能力」「記憶力」そのスピードに優れているだけだとしたら、その能力は簡単にAIに置き換えられる。「コミュニケーション能力」も権力に阿る「忖度」に堕ちてしまった。本来の知恵者は、深い知識、発想力などが必要だが、官僚の前に、事の本質は何かと考える物差しがなければ日本人としての体をなさない。明治以来今に至るまで、正しい歴史観と宗教観が欠如している。それらを学ばなかったのだからあたりまえなのだが、それを認めて、先入観を捨て本気で学べば、若い世代は、まだ間に合う。
実は明治以来の国威発揚と、グローバル競争に勝ち抜くためのナショナリズムは同質だと言われて久しい。それでは何の進歩もない。同じ失敗の轍を歩むだけである。
しかし日本人としての正しい歴史観、宗教観に基づき、その哲理をひとり一人が醸成する事により、結果として新しい異相のナショナリズムがうまれる。世界に伍す個性的日本人が生まれる。国力8位になろうとも、そういう日本人がいれば、問題解決能力の高い、こころ豊かな日本人の暮らす日本が存在し続ける。
                   2018.7.27 春吉省吾
●写真説明
◆酷暑の午後3時30分、新宿南口の人混みは何時ものおよそ4分の1。サザンテラスは人影もまばらだ。2018.7.24
◆一昨年、8月上旬、福島の国見町で撮影した中禅寺蓮。
古戦場(阿津賀志山防塁)の眼下に咲く。平泉中尊寺に伝わる藤原泰衡(第4代当主)の首桶の蓮の種が800年の眠りから目を覚まし開花した。蓮の種を中尊寺から預かりここに移植。

 

紀伊國屋書店台湾 VOL.44

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 数日前に、「言挙げぞする」というワードで検索したら、ヤフーのサブジェクト機能に「紀伊國屋書店台湾」というサイトが表示されたので、さっそく開いてみた。(写真添付)
 購入するのは在台湾の日本人だろうが、著者の立場からいろんなことを考えた。
「言挙げぞする」の14章「儒教の宗教性と仏教」─本当の儒教を知らない日本人─では、孔子以前の儒から考え起こして、儒教の強烈な「宗教性」を明らかにした。中国にあっては儒教は宗教そのものなのだ。本来宗教とは「宗教」+「道徳」が必ずセットになって、宗教となる。
「宗教」とは生死観の核心部分を指す。日本では宗教教育が行われていないので、宗教とはどういうものかわからないまま、「道徳」のみの偏頗な理解しかない。あわせて、世界の宗教がどんなことなのかと、比較することも全く学んでいない。これは、近い将来、日本民族にとって致命的なことになる。(既になっていると言い換えてもいい……)
 日本人の儒教観は、論語朱子学陽明学(宋学)などの道徳部分の「儒学」しか理解できない。誰からも、それ以外のことを教えられないのだから当然と言えば当然なのだ。江戸中期から明治・大正・昭和とそれをよしとして現在に至っている。だから「中国人」と接するとき、間違った物差しをずっとあててきたのだ。(これを30年前に正しく指摘した学者は、加地伸行先生ただお独りであった)
台湾人達は同族なのでそのような過ちは犯さない。大陸の中国に常に政治的にも経済的にも呑み込まれてしまうという危機感を抱きながら、日々暮らしているので、拙著の内容を遙かに敏感に理解するはずである。「儒教」の脅威が何であるかという根本を理解出来ない日本人は、中国の大きな脅威に対抗できない。同時に個としての中国人の生死観を知らないのだから、彼等と真摯に向き合うことが出来ないにきまっている。
儒教に限らず、日本的亜流「仏教」となってしまった、檀家仏教・葬式仏教も浅い。それら間違った物差しを修正する糸口として、拙著を役立ててほしいものだ。


 ワールドカップ予選リーグで、日本チームがベスト16に勝ち上がった。
試合終了のホイッスルを聞くまで同点ゴールを目ざせば、観衆からブーイングを浴びることはなく、果敢に戦ってフェアプレーポイントの優位性が崩れ、セネガルに2位を譲ることになっても、美しき敗者、勇敢な行為を為し遂げるサムライとして讃えられたという意見がある。
日本チーム率いる西野監督の指示による、後半10分のボール廻しは、「武士道」にあるまじきことだという批判だが、それは全くの見当違いだ。国技に近く馴染んでいる欧州や南米のサッカー国のサポーターが皮肉ややっかみで言うのは放って置けば良いが、日本人がそういう発言をするのは実に甘く浅い認識だ。
そもそも「武士道」とは何かという概念を理解していない。
 

 作家、司馬遼太郎氏は戦後の日本人が失ったものとして「武士道」をあげた。武士道が美徳とする礼節、忍耐、貞節、忠義、責任、潔さ、名誉、尚武の気風等々は日本人が失ったものだという認識である。特定の宗教をもたない(と思っている)日本人にとって、それに代わる唯一の倫理規範が武士道というわけだ。しかしそれはあくまでも一面的なことである。
実は「武士」というものが世の中から居なくなって久しい明治も後期に入った19世紀の終わり頃から「武士道」という言葉が流行った。この「武士道」とは、近代国家を目指す時期に創られた言葉である。
1899年に『Bushido: The Soul of Japan』「武士道」という著書を残した新渡戸稲造博士は、武士道の7つの徳(礼、忠義、誠、名誉、仁、勇、義)をベースにして、日本人は倫理観が高く、国民一人一人が社会全体への義務を負うように教育されており、とくに武士はそういう意識が高いと説いた。日本人はキリスト教徒ではないが、決して野蛮人ではないということをアピールしたかった。日本にも西洋の騎士道に似たものがあり、実践されていたと、欧米人に知らしめるため、武士の道徳的価値観の中から、理想的部分を選んで作り直し、日本社会が過去から受け継いできた倫理観の理想を描いた創作なのだ。
倫理性だけをみれば江戸時代の武士よりも、商人の方が高い倫理性を発揮しており、慈善事業は、もっぱら経済力のある商人や篤農家がおこなった。
 

 むしろ真の武士道を知るには宮本武蔵の「五輪書」を読むのがいい。13歳から61歳の生を終えるまで、真剣勝負をし続け、約60の試合すべてに勝利した。「五輪書」は戦いをするために必要な準備、そして実際に戦うときの考え方、心の持ち方、体の使い方が書かれている。また戦いのみならず、人間行動の核心をつく本質が簡潔に書かれている。しかしかくいう武蔵も、53歳の時、島原の乱では小笠原家の隊長格で久々に出陣したが、足に一揆軍の投石を受けて負傷し、大きな働きはできなかった。情報収集が甘かったのだ。


 諸般の事情で、急遽日本代表監督を引き受けられた、西野監督の心中の辛さは、察して余りあるが、本戦までの短い間に、勝つための、あるいは負けないための情報を集めたことであろう。予選突破が絶対命題である限り、監督として、個々の選手達の心を掴み、戦う集団として鼓舞し、更には新しく導入された、1)ビデオ判定、2)戦術的な目的で電子機器を使用可能、3)決勝トーナメントの延長戦における4人目の交代、4)フェアプレーポイントの規定などをどう使いこなすか、コーチ陣とのコミュニケーションも大切であった。特に問題の10分間のパス回しなどは、2)、4)などを徹底的に利用した結果である。西野監督は、自己の意志決定を信じ、自力であろうが他力になろうが、腹を括ってぶれなかった。監督を信じて戦った選手達も立派だった。
 この決断は、120年前に創作された理想の「武士道」イコール日本人であるという従来のステレオタイプの考え方を変えた、新しい日本的実践思想に通ずるものであると私は評価する。

 日本人が世界に通ずる「武士道」を新構築するためには、あらゆる武道における「残心(身)」を、もっと深く考えることが必要である。この私論は、日本人が世界に対して新しい一歩を歩み出す、大切な実践論になると思う。「残心(身)論」については、体系的な説明が必要なので、何れ講演会などで直にお話し出来ればと思っている。     平成30年7月2日  春吉省吾

写真説明上から
●「紀伊國屋書店台湾」のブログに掲載されている「言挙げぞする」。著者としては変な感覚だ。
●友人が送ってくれた飯坂温泉の「ラヂウム玉子」。この美味さを知ると他のどんな温泉玉子も食べられなくなる。
●猛暑の「梅雨」と思っていたが、いつの間にか「梅雨明け」だという。近未来の自然現象はこの先も、予測不能のようだ。