春吉省吾のブログ

作家・春吉省吾のブログです

4月半ばに思うこと ~春吉省吾の今~ VOL.54


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●2019.6月上梓決定。長い名前の随筆集。恣意的に作り上げられた数値に惑わされずに、我々はこの先どう生きればいいか。
東京2020」の危うさも当然知っておくべきでしょう。

f:id:haruyoshi01:20190417135310j:plain●2019.3.21 立花眞理さんとシュターミッツ四重奏団の演奏会。
彼女とは中学校の同級生。この先も円熟の演奏を期待しています。春吉も頑張らなくっちゃ!!

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●2019.3.27 福島県立美術館。「若冲」展。
背景の山は「信夫山」。開催から2日目で、観覧者は多かったですが、それでも東京の展覧会の4分の1程でした。展覧会の観賞は地方に限る。
それにしても東京の展覧会は何故あんなに混雑するのだろうか?観賞マナーも悪いし、日本人がそんなに教養高くなっているとは、とても思えないのだが。

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●2019.4.3 ここから都庁や新宿高層ビル群を背景に観る桜は絶景です。毎年恒例の私の定点観測地です。

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●2019.4.6 第55回東京都居合道大会。東京武道館

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●2019.4.6 第55回東京都居合道大会。六段勝ち抜き戦。いざ決戦!! 前列手前が私。

 

4月も半ばになり、近くの玉川上水跡の散歩道の桜も、半分は葉桜になりました。過去に何回か記載しましたが、私はこの小さく瑞々しい若葉の緑が大好きです。
今年の花粉症は例年になく酷いことになり、風邪と重なって、3月早々に耳鼻科で診察を受けました。春先にピークがくるスギやヒノキ科の花粉の飛散もようやく収まるのが4月後半なので、これからは4日で一箱消費したティシュ-の減りも押さえられるでしょう。

3月に入って新作の取材や、確定申告などすべて一人で行い、税務署に提出しました。21日には銀座王子ホールで開催された、ピアニストの立花眞理さんのコンサート(私の中学時代の友人でもう何年も開催しています)に行き、翌週には故郷福島市で93歳で元気で頑張っている母の顔を見て、先祖の墓参りや、親戚を廻り、夜は友人達と食事会をするなど、忙しい時間を過ごしました。4月6日には、第55回東京都居合道大会の六段の部で「努力賞」の賞状をいただきました。
弓道も居合の稽古もそこそこ励み、それ以外の日には、1日8千歩を目標に、ジョギング・ウォーキングをしています。今年の花粉症は酷かったのですが、身体を動かしているおかげて、頭の働きは良いようです。今まで以上にしっかり物書きに集中しています。

●最後の纏めに入った「秋の遠音」は、江戸後期・幕末明治初期の壮大な物語です。多くの日本人に知って欲しいその時々の歴史の時間と空間を背景にした情感豊かな作品です。
維新後の凄まじい弾圧で、長州藩においてすら、幕末の正確な資料は残っていません。錯綜した幕末から明治初期を客観的に見つめ、その中で生きた登場人物の息遣いが、読者の一人一人に響くような作品をと願いつつ、書き進めています。
政治的な複雑な動きも、所詮、人間的な嫉妬や怨恨、偶然と妥協の重なり合った現象で、後世「英雄」と称される歴史上の人物は、たまたま「時代」という歴史の創造主がその人物を、そこに置き、そのように働かせたと思えてなりません。
「秋の遠音」は弱小一万石下手渡藩・三池藩の物語です。主人公はその家臣達です。このような「超長編」が、日本の歴史時代小説の中に、正当な地位を勝ち得ることを願いながら書き込んでいます。
脱稿の予定が当初の予定より大きく遅れていますが、やはりこれだけのスケールの作品を纏めるには熟成期間が必要でした。その間に、偶然巡りあった資料や、思いがけない人間関係などを発見することが出来ました。時代を超えて息長く読み継がれる物語になれば嬉しいです。

●6月上梓を目指して、長いタイトルの随筆を書いています。タイトルは「まとわりつく 嫌~な感じを取り除くために 『今』言挙げぞする」というものです。戦後75年の総括と、東京オリンピックの危うさなど、今我々がきちっと認識しておくべきことを私なりに分析し、「定常経済」という視点から、この先我々は現実にどう対処し生きるべきか、日本人の根源的な事々を確認して、行動や意志決定のよすがにして欲しいと纏めています。

●それから「初音の裏殿」という幕末を舞台にする中編シリーズ時代小説も、楽しんで書き進めています。あらゆる策を講じて目的を完遂する、主人公の痛快な生き方を堪能頂けると思っています。おそらく読者の想像を絶するダイナミックな連作になるでしょう。 
健康な日常生活を心かげれば、あと十数年はそこそこクリアな頭で、想像力も枯渇しないだろうという自負もありますが、「歴史物語」の書き手として、人間の明日は予測がつかないということを誰よりも知っているつもりです。何時どうなるか判らない人生の面白さと畏怖、そして強烈な自己信頼の精神を、主人公を通して表現したいと思います。

ところで、4月1日に、次の年号が「令和」と決まりましたが、史上初めて漢籍ではなく、国書から採用されたと言うことで話題になっています。今回の「令和」は万葉集を典拠とした「梅花の宴」という漢文の序文から取られたということです。
その年号策定に与ったお一人に中西進先生の名があがっていました。ご本人は自らが答申したとはこの先も、決して仰有らないでしょうが……。
実は中西先生の「万葉集」の講義を今から、48年前に数回聴講したことがあります。以来、中西先生の「万葉集」の書籍は何冊か読んでおりました。でも失礼ながらその当時は、文化勲章をお取りになるような先生とは思っていませんでした。質問事項は覚えていませんが1度だけ質問したことがあります。近寄ると煙草の臭いが強く漂っていたことを記憶しています。

それにしても、日本の国書からの引用で、日本の文化が初めて元号になったという喜び方は、あまりに軽薄なような気がします。様々な思想を取り入れて、日本文化を練りあげた我が日本民族は優秀ですが、中国文明を無視し、短絡に日本特殊論に陥るのは能がありません。
一方で、「梅花の宴」は、単に平板な梅を愛でる宴会ではなく、そこには長屋王政権の倒壊と藤原四兄弟(藤原摂関家の先祖)の激しい政治的対立があり、長屋王に引き立てられた大伴旅人が九州太宰府で抱いた怨みの思いがその背後にあるという主張です。だからそこからの「令和」の引用は問題だと言う学者もおります。その言に従うと、万葉集そのものが、「古事記」「日本書紀」とは異なる意味で、紛れもなく王権の書であったというのです。
古事記の成立も、日本書紀の成立も、天皇制確立のため、厳しい国際環境(中国大陸、朝鮮半島の情勢)のなかで生まれたもので、当然「万葉集」も、視点は違うが、そのような成立の意図があったことはあえて言挙げせずとも当然のことなのです。
古代は穏やかで平和だったというのは我々の安直な考えで、当時の政治の動きは、今以上に激しく厳しい時代でもあったのです。(拙著「言挙げぞする」155P~184P参照)
だからこそ、その制約の中で、残り伝えられた古代の人々の歌歌が我々の心に迫るのです。そこを、矮小にねじ曲げてはいけません。

聯合艦隊司令長官の山本五十六は、愛読していた「万葉集」を旗艦長門に持ちこんだことは有名ですが、太平洋戦争に出征し、無念にも命を散らした多くの英霊も「万葉集」、あるいは「万葉抄」を携行しました。それは、古代から今に至るまで、日本人の心の琴線に触れる本質がそこにあり、戦争という生死の淵で「万葉集」が自己を深く見つめる支えになっていた証なのです。
政府発表によると「令和」とは、人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育ち、梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国である様にと祈って、命名されたと言います。
しかしこの先、平成よりももっと厳しい現実に、我々は立ち向かわなければなりません。
だからこそ、あまり尖りすぎた理窟に拘らず、心を柔らかく持ち、日本人としての豊かな感情を醸成してくれるであろう「万葉」の世界に、虚心に遊んでみるのも大切な事だと思うのです。                                  2019.4.12  春吉省吾 ⓒ

 

新しい事にチャレンジしています VOL.53

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●2019.1.28
目黒行人坂・大円寺。立ち寄ったのは20年ぶりだ。ここの木彫りの「大黒像」を2つ持っていて、私の事務所の神棚におかれている。
境内の左側には目黒行人坂火事の犠牲者追悼のために作られたという石仏群 491体がある。境内の右奥には、「八百屋お七と吉三(西運)」の墓碑がある。江戸本郷の八百屋の娘お七が、恋人の吉三に逢いたい一心で放火事件を起こし火刑に処された。大円寺はそのお七の恋人、吉三ゆかりの寺で、お七が処刑された後、出家して西運と名乗り犠牲者を弔ったという。
お七は井原西鶴の『好色五人女』の四巻に取り上げられた。

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●2019.2.1 長澤大兄にいただいた「清酒二重橋」。皇居だけで販売しているお酒です。本日開封

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●2019.2.10 30年ぶりで「水族館」にいった。品川水族館は、小さい子供連れで一杯だった。

●チャレンジ1 「新しいネットショップ」開設
 これまでノーク出版より9冊の書籍を発刊して思うことは、日本の出版流通業界は未だに旧態依然とした業界だということだ。アマゾンが日本の出版流通の事情を知って、強気に出たのも十分に事前調査をして進出したからだろう。流通を通して本を書店に依頼する場合、配布にあたって出版社の意思は通らず、売れなければ汚くなって返品され、入金は半年、一年経っても入金されない。それでは資金繰りが回らないから、大手流通会社との商慣習で「割引手形」が恒常化している。そういうもたれ合いの業界だ。 勢い出版社は、会社を継続していくために、内容はそっちのけで、売れる本、名前の知られたタレント本、売れっ子作家の本が店頭に平積みされる。経営的には理解できるが、本来出版の存在価値を自ら放棄している。
 まあここでは、日本の活字文化がそのような薄っぺらな状態にあると言うことに留めておく。


 ところで、作家として自分の本がアマゾンの中古として「1」円で売られたら、良い感じはしないが、売れっ子作家にならない限り、そうはならないから、いまのところ私にはその心配はない。
 コネも人脈もなく、資金もないから、多額の保証金が必要な大手出版流通との直接取引などは望むべくもない。だから二次・三次の流通業者に委託しているが、実際には販売の殆どを自分のルートで販売してきた。これまでもネットショップを開設しているが、カード決済支払いは多くない。流通の手数料も法外だが、ガード決済の手数料も馬鹿にならない。
 ならば、その分を読者に還元しようと、新しく、後払い専用の「ゆうちょ振替伝票」ネットショップを独自に立ち上げることにした。ここからの購入者には多くの特典を付け、ノーク出版に読者にも有利な、WinWinの関係を目指して、3月の後半からショップを開く<strong>。(https://nork.easy-myshop.jp/</strong>  に現在準備中です。オープン近くになったらご連絡致します)
 現在「今、言挙げぞする~まとわりつく嫌な感覚を取り除くために」という四百字原稿用紙で180枚程度の書き下ろし随筆を、A5サイズの小冊子に仕上げている。簡易製本にして、限られた方にだけ廉価で販売しようと思っている。その際にはこのショップから販売します。


 蛇足だが、昨年、カード決済の脆弱性を身をもって体験した。夜の10時頃、カード会社と名乗る電話があって、「異常な金額があなたのカードから引き落とされていますが、これは実際に、あなたがご使用になったものですか」という。はじめは悪戯電話と思ったが、そうでは無かった。引き落とされたという明細を確認すると、全く記憶に無い。私の知らないところで、私のカードが使われたのだ。まさか、自分が被害者になるとは思ってもいなかった。カード会社では、異常な取り引きを常にチェックしているのだろうが、悪戯電話と思って電話に出なければ、被害は明細書が送られてくるまで判らなかった。恐ろしいと思った。
 カードは全て新しく作り直すことになった。その間カード決済は出来ず、自動引き落としに支障をきたした。カード決済の取り引き先から情報が漏れれば、あるいはクレジットカード乗っ取り手法に高度なAI技術が駆使されれば、対抗策は極めて難しく、避けられないと覚悟すべきだ。

 政府は、消費税アップの批判を和らげるため、カード決済を更に促進する方針だが、決済を全てカードにする危なさを知るべきだろう。現金後払いというシステムも、残しておかないと大変な事になるという思いが、後払い専用の「ゆうちょ振替伝票」ネットショップの開設に踏み切った理由の1つだ。
 イギリスで起こったFACE BOOKの大量情報漏れをはじめ、様々な個人情報がダダ漏れしている今、カード支払いの恐ろしさも自覚すべきだ(止めろとは言っていない)。
 私のチャレンジは時代に逆行するものでなく、自己防衛の補完システムの1つと捉えてほしい。


●チャレンジ2 税務申告を全て自分で実施した
 今年から、青色申告と確定申告は全て自分で申告することにした。会計全般に関しては多少の覚えがあるので、今まで会計事務所にお願いしてた業務を、コスト削減と頭の体操を兼ねて自分で作業を行った。税務申告については、最新のハウツー書を購入し、年間1万円ほどの会計ソフトを利用した。仕訳票や総勘定元帳、BS、PLも作った。便利になったものだ。
 確定申告は、色々な算定の基準に合わせて結果の数字を纏めるのだが、やってみて思ったことが2つある。
 1つは、国の方針で、つまり国税庁のさじ加減で、徴収税額を増減させることが出来る。算出方法をパズルのように難しくしているのは、税務官僚の実に上手いやり口だ。税法改正はその細かいところまで、国会で論議の対象にはならない。国会議員が税制に対して不勉強と言うこともあるが、「憲法改正」「消費税アップ」などの国民的大論議は決して起こらない。というのも税制改正によって、どの層が、どれ程税額に変化を及ぼすか、情報の全体が官僚にのみ握られ、ブラインドになっているため、具体的に反論できず、判らない間に決まってしまう。
 2つ目は、確定申告をやってみて、社会保険料が高いということを改めて感じた。私も年金受給者の一人なのだが、健康保険、介護保険後期高齢者医療保険などの支払金額は高い。それ故に、厚生労働省社会保険庁の不正や杜撰な作業には腹が立つ。
 日本人として支払い義務を負うのは当然だが、中国人を主とする外国人に日本の国民保険制度が悪用されている多くの事例が発覚している。言語道断だ。これら悪質外国人が高度の癌治療に国保を使ったあげく踏み倒したり、海外で出産して日本で支援金をもらったり、海外にいる家族まで扶養に入っていたりと、やりたい放題にやられている。
 一昨年、東京荒川区では出産育児一時金42万円の受給者の26%が中国籍と判明した。自国民に厳しくて、悪辣な中国人達にいいようにされている。緊急に徹底的に取り締まる事が必要だ。こんなことを放置していたら、誰も高額の社会保険を払いたくなくなる。厚生労働省の職員さん、社保庁の職員さん、襟を正して、慎ましく暮す日本人のために、どうかまともに働いてくれ!!

 個人のマイナンバーや企業のID記載は、確定申告書をはじめ行政の提出書類はいつの間にか既成事実になった。データを集積すれば、国家管理は楽になるが、上記のようなことを考えると、実に日本の官僚制度の事務手続きは危機管理に脆く、笊だ。くれぐれも情報漏れの無いように頼みますよ!

 今回、申告業務をやってみると、税務申告書には税理士の署名捺印の欄がある。しかし現在のソフトをより高度化させれば、合法的かつ節税シュミレーションが簡単にできてしまう。税理士業務そのものが不要になるのではと思う。しかし数字を見ただけで拒否反応を起こす国民が大部分だから簡単にそうは進まないし、そこまでソフトを進化させると、強力な「税理士会」が、そのソフトをボイコットしてしまうに違いない。それに税理士資格は、国税専門官として退職後の受け皿になっているという現状もあり、国税庁は税理士制度を蔑ろに出来ない。
 更に話を進めると、AIの進化によって、財務省の予算策定も、ビックデータの優れた解析ソフトを開発することで、国家予が策定される時代になったといえる。(超)優秀なソフト開発者数十名と、スーパーコンピュータにより、収集した膨大なデータを活用すれば十分可能なのだ。
 従来、財務官僚が主導してきた各省庁との予算折衝が彼らの権力の根幹であったが、本来財務官僚に求められるのはそんなことではない。官僚として国家のグランドデザインを構築する能力、哲理・哲学・真の愛国心・矜持という一番大切な能力を求められる筈なのだが、いつの間にか矮小化してしまった。予算権を握った事で偉くなったような勘違いをしている財務官僚、優れた記憶力や、素早い情報収集処理能力などで「頭がいい」とされてきた「能力」が、AIの進化によって、無用になってしまう。


 今、日本にとって必要なものは、従来求められていた官僚の資質とは真逆な、AIの進化をいち早く取り入れることなのだ。しかし本来の正しいAI導入は、財務官僚達の既得権を破壊するパワーを持つ。彼らの激しい抵抗は必至である。しかしそれが、次世代の日本活性化の要の1つである。AI時代に優秀な官僚達をどう使うか、政治家の能力と矜持が問われているが、果たしてどうか。
 最後にひと言、私は酔狂で新しい事にチャレンジしているわけではない。細部を知ることで全体構図が見えてくる。その手法は長編小説の全体像を際立たせるため、細かなプロットに拘ることと同じなのだ。「秋の遠音」は、細かなプロットにこだわりつつ、頑張って記述している。
                                                           2019.2.14  春吉省吾 ⓒ

長編歴史小説を書くということ ~継続と断絶~ VOL.52

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f:id:haruyoshi01:20190204170203j:plain●2019.1.17 学習院大学目白キャンパス。間もなく入学試験が始まる。学生は少なかった。早めに着いたので、学生食堂を覗いてみた。カニクリームコロッケ定食450円、ラーメン250円、カツ丼380円、カレーライスM270円。食べる機会は無かったが、安い。
学習院アーカイブズ」は、右の写真西五号館の地下にあった。
資料閲覧のあと目白の駅周辺を、ぶらっと散策した。老舗の和菓子屋が二軒直ぐ近くに並ぶその一軒、「志むら」という店に入った。全国展開していない和菓子屋さんの、季節の「上生菓子」を食べれば、その店の実力が判る。美味かった。直ぐ近くの「アンテンドウ」というパン屋さんで調理パンも購入した。

f:id:haruyoshi01:20190204170215j:plain●2019.1.10散歩道の寒椿。

f:id:haruyoshi01:20190204170229j:plain●22019.1.15
甲州街道と山手通りが交差する上を高速が通っている。600メートル先が、新宿西口だ。

 

 早いもので既に2月。春吉は寒さにめげず頑張っています。弓の朝稽古も週2回、日曜日隔週の居合稽古もやっています。それ以外の日は、朝のジョギング・ウォーキングも実施中。公園で、弓も刀も持たずに、シャドートレーニングもしています。武道の勘は2日で鈍ってしまいますので、この稽古は多少役立っているでしょう。
 しかし弓道居合道も20数年以上続けると、知らずに我流に堕ちてしまいます。私としては、常に合理的な筋骨の使い方を極めるべく研究していますが、端から見ると、突然、とんでもないことをやり出して、何と馬鹿なことをやっていると思われるかもしれません。
 技をさらに今一段極めたいと思ったら、様々な事を試みて、より核心的なことを目指すというのは武道にもスポーツにも必要だと思うのです。
 ところがやってみると、これが半端じゃなくとてつもなく難しい。大切な部分までおかしくなって今まで積み上げてきたこと全てがボロボロになってしまう危険もあります。それでもそこに拘るのは、「ここを体感できれば、一見複雑に見える事象のもつれをとく最上解が判る」という(Disentanglement)「解きほぐし」能力を手にすることが出来るからです。しかし残念ながら、私には大谷翔平選手や大坂なおみ選手の天分は無く、年齢も新しい事を吸収し、直ぐに血肉にする時期はとうにすぎています。
 それも承知でチャレンジしているのは、日常生活において物事を判断するとき、この発想が役に立つと思うからです。けれど現状は、未完の儘に終わる可能性も甚だ大きいです。
 それに無理をすると失敗します。13日の日曜日に、居合の稽古を2時間ほどやり、翌日の成人の日に、東京都の第二地連の初射会に参加しましたが、6射の内、4つ矢の射の時に、弓を持つ指が突然攣って、射にならなくなりました。
 刀を扱う手の内と、弓のそれが違うので、稽古しすぎて痙攣をおこしたのです。
 例えば、前日にボーリングをして、その翌日ゴルフコースに出ると、同じにスイングしても、シャンクをしたりする経験をした方もあるでしょう。そんなものです。疲れが翌日に残らないようにすべきだったと猛省しています。

 さて、本業の物書きですが、昨年から「秋の遠音」の最終章に係わる、纏めの資料収集をしています。
学習院大学内にある、学習院アーカイブズ(以前の院資料室)の桑原光太郎様にお願いし、下手渡藩藩主、後三池藩藩主、明治9年初代院長に就任した立花種恭公、下手渡藩の家臣であった吉村春明の学習院在籍資料などを閲覧してきました。明治19年神田錦町にあった学習院の校舎火災で、殆どの資料を焼失してしまったとのことですが、それでも時系列に頭の整理が出来ました。
事前に華族院の設立経緯などを調べていましたが、思いもかけないところで人と人とが繋がり、歴史の継続性、意外性が発見出来ました。歴史の深部の面白さです。
 ただ、歴史の中からある人物が突然消えてしまう、断絶した時間・空間もあります。「秋の遠音」の主人公、吉村春明の波瀾万丈の一生の中で、どう調べても判らない空白の時期があります。明治5年からのおよそ4年間、東京での実業経験の詳細は不明です。学習院に4年5ヶ月勤務後、福島町での5年4ヶ月も不明。その後、春明は岩手県師範学校に3年5ヶ月勤務したあと、福島の飯坂町に隠遁し、2年5ヶ月後にその生を終えます。享年67歳。福島県立図書館などに十数回通って資料収集しても、春明が福島にいたことすらわかりませんでした。
 吉村春明の大雑把な消息は、大牟田市の資料から発見しました。福島出身の私としては、地元の郷土史家の研究対象にもなっていないことが残念でなりません。下手渡藩が三池藩に吸収され、吉村春明が大参事になった後、廃藩置県福島県編入され、福島県に出仕しますが、5ヶ月で辞職します。春明のその無念は、福島人としてしっかり受け止めてやらないと悲しすぎます。
春明の人生の断絶部分を埋めようと、実子吉村五郎氏の足跡を求めて、会津史談会会長の坂内實会長にご連絡したのは3年前でした。
 吉村五郎氏は、「下手渡藩史」を編纂された方で、会津史談会の初期会員でもありました。
明治21年に福島師範学校の第1期卒業生で、杉妻小、飯坂小、本宮小、安積高等女学校校長などを歴任しております。その後、若松第一尋常高等小学校の校長などを歴任していますが、その公式記録は、福島県福島市の教育関係の資料では把握出来ませんでした。
 坂内会長には、吉村五郎氏が昭和14年まで会津若松市内に住んでいたその場所を実地に確かめて頂きました。しかし既にその地は飲食店になっていて、吉村家の消息はそこで途絶えてしまいました。以来、ずっとその空白を埋めようと、機会ある毎に資料を漁っています。
 物語はまもなく最終部分にとりかりますが、主人公の吉村春明は、幕末の激動の中で、もがき苦しみます。
十数年前に、私の生まれ故郷の近くにある下手渡藩という珍しい藩名に興味を持ち、調べ始め小説を紡いできましたが、時空間を 超えたとてつもない広がりを持つ小説になりそうです。
 物語は11代将軍家斉から明治中期までの86年、舞台は奧州下手渡、江戸、筑後三池は勿論、蝦夷地、長崎と、日本全土にわたります。こんなに大変な小説になるとは思っていませんでした。
 断絶した部分は、ほんのわずかな資料をたよりに、物書きの想像力をつなぎ合わせ、纏めると臍を固めました。自身の(Disentanglement)能力を信じて書くしかないからです。しかしそうは言っても、上梓まで苦しく孤独な執筆はあと半年ほど続くでしょう。
 その間、このブログをご覧になって、吉村春明の足跡のほんの少し、わずかな情報の欠片でもお持ちと思われた方は、春吉省吾まで御連絡下さい。最後まで吉村春明の空白部分を埋め、歴史小説「秋の遠音」を完成させたいと思っています。

                                                                                                 2019.2.4 春吉省吾ⓒ
追伸
 弊社が現在利用している流通業者にはなかなか弊社の要望が通りません。在庫があるにも拘わらず「言挙げぞする」などはアマゾンには正規流通品欠品のままで、古書販売業者の品が売られています。日本の出版流通業界は実に、旧態依然としてなれ合いで現在に至っているようです。アマゾンに完膚なきまでに言いようにされているのが頷けます。
 それと、ネット販売に必須と思われている、カードの引き落としは今やあたりまえになっていますが、大きな危険性も存在します。これは次回のブログとします。
 3月から、弊社ネットショップを増設し、代金後払い、商品と一緒にゆうちょ振替支払票同封し、一定額以上購入した方には、送料、送金手数料無料とし、クーポン制も即刻反映できるシステムを導入し早く安くお届けできるショップを増設したいと思っています。

新年に思う、「並ぶ」と「待つ」 VOL.51

 

f:id:haruyoshi01:20190119182627j:plain●上野寛永寺水観音堂   2018.12.20

f:id:haruyoshi01:20190119182626j:plain●清水観音堂近くの梅が咲いていた。2018.12.20

f:id:haruyoshi01:20190119182623j:plain上野の森美術館 フェルメール
2018.12.20 随分久しぶりでこの美術館に行った。フェルメールの作品は8点から9点ほどだと思ったが、何れもそんなに大きな作品ではないので、観覧者が動かないと、後ろの者はよく見られないのだ。
「光の魔術師」といわれる作品のライティング効果が、やや強すぎると感じた。

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代々木八幡宮にて、初詣の準備は万全。2018.12.24

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代々木八幡宮にて、年越し茅の輪潜り。2018.12.29 
正月の初詣は、階段の下まで長い行列が続く。

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●2018.12.24 新宿のビル群が見渡せる私の定点観測の場から。この日は晴天だった。

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●2018.12.25 手術後、外来診療の行き帰りに、この光景を何度となく目にした。お陰様で、この日、半日がかりの検査結果は良好で、この光景も今年の見納めだ。

 

 ここ4~5年、初詣は行かないことにしている。年末から年始は家の中の新年の行事だけで、いつもと殆ど変わりなく、机に向かっている。それに寒い中、何時間も並びたくないという個人的理由による。 
 事務所には、結構大きな神棚があって、毎日お世話をしているから、取りたてて元旦に行くこともない。私の氏神様は「代々木八幡宮」でも「明治神宮」でもいいが、「代々木八幡宮」が私の日常のウォーキング・ジョギングコースなので、身近な氏神様としてここに決めている。既に12月24日にジョギング・ウオーキングのついでにお札を受けてきた。横着だというなかれ。これが氏神様との接し方だと思っている。一年間お世話になったお札や注連縄は30日に、お焚き挙げのために持参した。「御宿かわせみ」で知られる作家、平岩弓枝さんは代々木八幡宮の一人娘として生まれたが、現在娘の平岩小枝さんが権禰宜を務めておられる。5年前渋谷居合道部会の15周年式典で部員全員の刀のお祓いをして頂いた。
 私の理念は、縄文精神文化としての古神道が本来あるべき神道という考え方だから、神社本庁が昭和23年策定した「作法」などには拘らない。慎みを持って参拝すればそれでいい。日常の生活の中に私の「神道」がある。だからそれを実践しているだけなので、かたちある「神社」にも拘らない。
 ウォーキングの道筋の一つに、甲州街道から山手通りに入り、代々木八幡宮から、井の頭通りを大きく迂回して家に戻るおよそ8千歩から1万歩になるコースがある。ご存じの通りこの辺りは、テレビで取り上げられるケーキ店がたくさんある。この辺りの店から一度も購入したことがない私なので、美味いか不味いか判らないが、この日は2、30人が店の前に人が並んでいた。今日がクリスマス・イブだと実感した。それにしてもケーキ購入のために並ぶんだなと、改めて思う。なにも、12月24日の日に、ケーキを食べなくてもいいものをと思う。
 クリスマスの翌日、26日のテレビで、食品リサイクル工場に、1日400~500kgもの売れ残りのケーキが、ケーキ工場や百貨店、スーパーなどから、運ばれてくる様子が放映された。豚の餌になるという。全国で廃棄されたケーキは、数10万トンになるかも知れない。近年、「インスタ映え」のために大きめのクリスマスケーキを買って、ろくに食べずに捨てる罰当たりもいるという。
 30年近く食品イベントの裏方で、冷凍・チルド品の膨大な試食品の廃棄処理を嫌と言うほど見てきた私には、「もったいない」が実感できる。それにしても恵方卷や、バレンタインチョコ、クリスマスケーキ、おせちセットなど、その売れ残りを想像するに、何と無駄で、贅沢で、無知なことをしていると思う。資本主義の拡大再生産の末路を見るようだ。このロスは、回り回って、日本人一人一人の金銭的な損失だけでなく、精神の鈍化・劣化に一層の拍車をかけていることを知るべきだ。(「言挙げぞする」に具体的なことを記載しています)
 甲州街道の初台、幡ヶ谷辺りはラーメン店の激戦区だという。美味いと評判のラーメン屋は昼時になると、いつも10人から20人ほど並んでいる。1時間以上も「並んだ」あげく、5分で食べ終わるのに人は並ぶ。
 私は並ぶのか嫌いだ。災害などで命を繋ぐ水や食料の配給のために「並ばなければならない」などは例外だが、気が短いのか、堪え性が無いのか、人間が出来ていないのでとにかく嫌いだ。
しかし自己評価すれば人よりも遙かに辛抱強い性格だと思う。私の中で「並ぶ」と決めれば、どんなに長時間であっても覚悟を決めて並ぶ。私の物差しで、「並ぶ」に価しないと判断すれば、その無駄な行為に時間を使わない、ただそれだけのことだ。
 日本人の多くは、何やら飼い慣らされた羊のように従順に並ぶ。それはある種の「美徳」なのかも知れないが、どうもそれだけではないような気がする。
 世間の評判に踊らされて並ぶことが、イベントのようになっている。そこに明確な意志があるのだろうか。
 12月20日に「フェルメール展」を見てきたが、場内整理がまずいこともあって、「並んで」「待った」あげく、名の知られた絵の前では、人の流れが滞って動かない。主たる原因は、中高年層の観覧マナーの悪さだ。「立ち止まらないでください」といっても動かない。
残念ながら、この行為に限らず、慎みを持たない日本人が多い。そこからは「美徳」の欠片も見えない。並んだ、見てきた、人が多かったと、自己満足するのは勝手だが、あなたは展示物の「何を見たのですか」と問いたい。私もその中高年齢の一人だが、同輩として情けない。彼らの来し方は、いつも何かに踊らされ、自分の頭でじっくりと考えてこなかった方々だろう。

 

 この30数年、決して群れることはせずに、老いても「個」として生きていけるように、我流、独学であらゆる分野を囓ってきた。原典や経典に立ち向かって、何度もはね返されて現在に至っているから、決して誉められた学び方ではないが、少なくとも自分の頭で思考できるよう努めてきた。「横並び」の発想とは違う、ず~っと深いところから物事を考えられるようになったと思ったのだが……。どうも学の囓り具合が悪かったのか、結局のところ多くの時間を費やして判ったことは「判らないことが、判った」ということであった。
 だが、それは正しい学び方だった。比較するのもおこがましいが、ソクラテスも「無知の知」として同じことを言っているし、「論語」のなかで孔子も「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」と言っている。


 この先、孤立せず、孤独を楽しみ、我を張らず、我を忘れずに、物書きとして発信していきたい。幸い、ライフワークである、長編歴史・時代小説「四季四部作」の最後の作品「秋の遠音」は今年半ばには上梓できそうだ。その後の作品は、エンターテインメント性を高めた先鋭的な時代小説「初音の裏殿」をシリーズ化していく。高齢化社会の中、読者の孤独で貴重な時間を、楽しくわくわくして欲しいと念じなから、机に向かって構想を練っている。
 末尾になりましたが、皆様にとって今年も、良い歳でありますよう、お祈り申し上げます。
                            春吉省吾 ⓒ  2019.1.1 

 

 

 

春吉省吾の平成30年 VOL.50

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●第22回関東甲信越居合道大会

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●同大会表彰式 (2018.11.24)

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●同大会の六段個人戦で5人抜きし、賞状をいただきました。ちょっと照れています。(2018.11.24)

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●長編歴史・時代小説「秋の遠音」の時系列の年表。寛政元年(1789年)から明治38年(1905年)迄の登場人物に関する事項を、人物事・年代事に書き込んで作った巻物です。2つあわせると10メートル程になるでしょう。最初の卷はもうボロボロになってしまいました。

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●渋谷区剣道連盟居合道部会創立20周年記念演武「夢想神伝流・奥伝〈信夫〉」左は越湖六段(12.1)

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●関東梅苑会(福島高校の関東地区同窓会)学年幹事会。私を挟んで左は皆川さん右は佐々木先輩(12.4)

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全日本弓道連盟名誉会長・範士十段の鴨川信之先生が、11月27日に逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。(享年95歳)
2ヶ月前にお電話でお話ししたばかりでした。
7年前に、長編時代小説「冬の櫻」を贈呈したところ、激賞いただきました。それまで本格的な弓道小説が日本に存在しなかったので、大変喜んで頂きました。写真は平成28年(2016年)2月末に、長崎の御自宅に伺った時の写真です。弓道の国際化をはじめ、現在の弓道発展の道筋をつけられたいわば、「昭和・平成にわたる弓道中興の大人物」です。
私が錬士審査を「立射」で受審していて、なかなか合格できなかったのですが、ようやく合格して先生にご報告すると「私も25年以上審査員として係わっていたが、立射で合格したのはおそらく君が初めてだよ」とお話し頂きました。その後、立射で教士や錬士審査で合格される方も出て来ましたが、先の小説とあわせ、私が先鞭をつけ、先生に認められたことを光栄に思っています。
2年前に御自宅にお伺いしたとき「『一日百射』稽古しているよ」と93歳とは思えない矍鑠とした先生でした。御自宅で2時間近く色々なお話しを伺って参りましたが、私のような者にこんなことまで話されていいのかなという内容もございました。何れ時が来たら、皆様にお話しすることもあるかと思います。

 

ひと言で言うと、私にとって大きな節目になった平成30年でした。
 昨年(平成29年)の11月の半ばに癌が見つかって、平成30年の年明け早々に手術をすることになり、年明けは、小さな平口のお猪口にたった一杯の「元旦」でした。
 この癌(膀胱癌)に対しての情報が少なく、次男の友人、大学病院の泌尿器科で最新の医療情報を持つ南医師に、二度ほどご相談する機会を得ました。セカンドオピニオンとしての意見、いやそれ以上の具体的な指針をいただいて、心に余裕が出来ました。
 しかし年内に片付けなければならない懸案事項があって、何度か出張しましたが、その間、血尿が止まらず、尿取りパッドや、紙おむつの優劣も、否応なしに勉強することになりました。

 この癌について、多くの文献や症例を参考にしましたが、他の癌と比べて再発率が非常に高いことと、術後の抗癌剤治療が特異な病気だと知りました。
 松田優作さん、菅原文太さん、ボクシング元世界チャンピオンの竹原慎二さんも膀胱癌の患者です。最近では、ワイドショー・キャスターの小倉智昭さんが、二度の膀胱癌手術のあと、再発し膀胱全摘するという発表は記憶に新しいところです。


 1月の上旬に、自宅から近い新宿の総合病院に入院し、1回目の手術の後、組織検査の結果、あまりたちのいい癌ではないというので、2月の末にもう一度手術をしました。その結果によって、膀胱全摘も覚悟してくださいと医者から宣告されました。その1ヶ月半は、生死観について、深く考えた時期でもありました。
 万が一のことがあれば、書きかけの長編歴史・時代小説「四季四部作」の最終作品「秋の遠音」は未完になるな、書き始めたばかりの「空の如く」や「初音の裏殿」は、私の頭の中だけで終わるなと思いながら、昨年の春から書き始めていた随筆集「言挙げぞする」は何としても仕上げなければと、病室にノートパソコンを持ち込んで、纏める努力をしました。


 そんなことから、「言挙げぞする」は、自己の生死観について、一見雑談のようなところから、既存の仏教、儒教神道など、従来の誤謬とその本質を、易しくしかし、あまり独善的にならずに記載しました。学者や、研究者、宗教家とは全く違った、日常の暮らしの中から、日本精神の基層の特質を冷静に見ていこうとする、私自身の実践してきた等身大の考え方です。
 「ごまめの歯軋り」と嗤うものは嗤えという心境で纏めました。何れ拙著が、認められることもあると信じています。それに我が実践思想(「心身経営学」も含めて)の本質を理解してくれる人物が、私のあとを引き継いでくれるその種蒔きの役割もこの冊子が果たすかも知れません。


 お陰様で、2度の手術後に、BCG療法という抗癌治療を6回行い、検査の結果、残存癌はないと告げられ、一安心いたしました。ただ、補助療法として更にBCG療法を行いましたが3回で中止しました。一般の抗癌剤治療よりも副作用が厳しいことは、最初の6回で体感していましたが、補助療法の3回は、発熱と、血尿と、30分に1度の頻尿が収まらず、とても普通の日常生活ができなくなって、中止しました。
 病気や怪我は、どんなものであっても、それぞれ特有の辛さがありますし、比較することは出来ません。ただ、人は病気になって初めて「健康」の大切さを思うのでしょう。
 人は、健康を損なわれたことで、否応なしに自分自身と向き合うことになります。その向き合い方は様々ですが、癌という病気は、その時間を我々に与えてくれます。少なくとも私にとってはそうでした。急性心筋梗塞脳卒中、交通事故など、一瞬にして生命を奪われてしまうとそうはいきません。
 病気の後、私にとってのQOL(Quality of life:クオリティオブライフ、「生活の質」「生命の質」)とは何かと整理し、本気で人生の再構築を図らなければと思いました。
 今回の病気は、私に与えられた絶好の機会と前向きに考えています。
 あと何年生きられるか、その間何を優先し、何を切り捨てていくか、何処まで質素に生きられるか、何を何のために残すのか、それが我欲になっていないかなどと、基本に立ち返って自問します。その立ち返る場所を自分の中に作っていくことが、生きることの意味だと思います。


 今年は、入院手術と、リハビリと大きな節目の一年でしたが、新刊上梓もしましたし、何よりあらゆる考え方・行動の基本となる哲理とじっくり向き合えました。それは私の日常の生き方を大きく変えたようです。見えなかったものが、不思議と見えてきたりします。
 例えば、趣味の弓道も居合も、呼吸と業がバラバラで、自分の中で溶け合わなかったのですが、稽古を再開した10月から、かつてなかった、ある感覚を得られるようになったのです。いつもそれが出来れば、「名人」の域に到達するのでしょうが、凡人の悲しさでそうは行きません。しかし、そのゾーンに入ると無心になれて、弓でいえば、余分な力が抜けて、離れは自然で、射形も美しく、必ず的中します。居合では、仮想の敵をはっきり捕らえることが出来ます。一皮剥けたのかも知れませんが、まあ薄皮です……。残念ながら年齢からくる変形性肩関節症が辛いです。


 来たるべき平成31年度は、長編歴史時代小説・四季四部作、最後の「秋の遠音」の上梓と、「初音の裏殿」シリーズ第1作の脱稿等、計画していることがたくさんあります。それらを、焦らずに、しかし迅速に着実に仕上げていきます。また、私の処女作「永別了香港」の改訂電子版も、アップしていきたいと思います。ご期待ください。
 平成30年はVOL.35から今回でVOL.50まで(VOL.49の「まとわりつく嫌な感じ」は長くなりましたので、リーフレットに纏めるため、未発表です)、15の文章をアップしました。息抜きで書いたもの、本気で書いたもの、啓蒙・PRを兼ねたものなど多岐にわたりましたが、お読み頂きまして誠にありがとうございました。
 読者の皆様にとって、来る平成31年度は、稔りの歳になりますことを記念して筆を措きます。
                                                                                     2018.12.16      春吉省吾ⓒ

言挙げぞする~朽ちた紅葉~ VOL.49

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 VOL.48を飛ばして、49を皆様にお届けします。実は、VOL.48は「纏わりつく嫌な感じ」というタイトルで書き始めましたが、きちっと章立てして読者の皆様へ私見を述べようということになりました。400字詰め原稿用紙で150枚ほどになります。身近な「様々な問題」を歴史的に比較検証して、読み応えのあるミニ冊子にしようと思っています。
 さて、今年の東京の紅葉は、かつてない激しい暴風雨の塩害によるものなのか、赤系の落葉樹が中途半端に枯れて無残な姿です。辛うじて、生命力のある銀杏が黄色い色を付けていますが、勢いはありません。
 毎年見慣れた風景ですが、今年は私にとって「劣化」を超えて「醜い」と映りました。
 私自身、この11月に誕生日を迎え、肉体的な衰えは勿論、記憶力減退、気力の維持などは確実に劣化していると自覚しています。せめて「劣化」から「醜悪」にならいように、日常的にかなりストイックなトレーニングや思考法をしています。
 今回は恥ずかしながら、その一端をほんの少しだけ話題にします。
 今までは、自分自身や家族を犠牲にして、世間体にかかずらうことが多々ありましたが、病気を機に止めることにしました。「公職・名誉職」などは一切お断りすることにしました。あと何年生きられるか、あと何作創作できるかと逆算して、体重管理や食事の買い出しから調理と殆ど自分でやっています。私の健康にとって一番の問題は「睡眠」です。これまでの4、5時間の睡眠では、疲れが溜まって、抵抗力がなくなり、病気を誘発します。最近は、疲れが溜まったときは、二度寝をしても、決して無理をしないことにきめました。しかし何十年と、睡眠導入剤を利用し、午前2時3時にやっと就寝という、生活習慣病の典型のような生活をしてきましたので、そう簡単に11時に寝て、6時に起きるという「健全」な生活に是正できるはずもありません。 
 漸次、午前1時までに就寝するのが目標です。
 作家の五木寛之氏は、昼と夜の真逆な作家生活を送っておられるようなのですが、あのお歳(86歳2ヶ月)で、頭もクリアです。NHKの午前中の番組出演のために、寝ないで出て来たというから、その気力は凄いものです。ちなみに同年同月同日生まれの石原慎太郎氏は8時間睡眠を取らないと機嫌が悪いというから、比較するまでもなく五木氏の方がはるかにシャープな頭脳を持続しておいでのようだ。どうやら生活習慣病の定義は、杓子定規に決められるということでもないらしい。 週2回、午前中の弓道の稽古日以外は、雨が降らなければ、一日1時間20分、ジョギング・ウォーキング、公園のベンチを利用して腹筋40回、更に居合の立ち技のシャドー稽古をすると、真冬でも汗びっしょりになります。帰り道に、夕食の食材買い出しも済ませます。
 トレーニングをしない弓道稽古日の方が、身体は重いと感じます。遅めの朝食と昼食を兼ねた献立はその日の気分次第ですが、納豆と生野菜とヨーグルトだけは欠かしません。外食は、カロリーがコントロールできないので殆どしません。
それ以降、外出の予定がない限り、夕方の6時半まで机の前から動きません。夕食を作って、食事をして7時半からまた机に。生活のリズムが全く違う妻は、週3回夕食を作ります。
 同世代の方々と比較して、頭が多少クリアでいられるのは、日常の雑事を人任せにせず、想像力と感性を働かせているからでしょう。
 例えば、同じ納豆でも、メーカーや、様々な品種、大粒、中粒、小粒、ひき割りなど、超高級品から特売品まで、全国で何百種類もあります。しかし、毎日食べるものだから、価格も大きな要素となります。何百と試した結果、私好みの納豆は自ずと決まります。
たかが納豆ですが、そこには「流通・マネジメント」の全てがあります。スーパーによって、取扱いメーカーや、値段の差、搬入のリードタイムも大分違うのです。私の周囲にある、半径1.5キロ内のスーパー10軒に限っても、それはわかります。
 「そんな細かな事にガタガタ拘るなんて」と思った方は、頭がマンネリ化して日常を惰性で生きている方です。「納豆」一つ取っても、メーカーの創意工夫、流通の進化、最前線が見えてきます。
 表層だけみて、そんなもんだと鈍感になってしまうと、地に着いた経済活動や経営活動から遊離してしまいます。細部に心配りの出来ない人間が、豊かな人生を送れるわけがないのです。
 大袈裟に言うと「ひとりひとりの何気ない日常の中に全事象があり、それが体得できれば、それだけ世界が、宇宙が見えてくる」のです。
 あるいは「神は細部に宿る(God is in the details)」とは、モダニズム建築で名高いドイツの建築家ミース・ファンデルの言葉と云われていますが
「細部の論理を維持していくことで、全体の論理が機能する」という意味でしょう。この場合の「神」とは「大いなる存在」あるいは「絶対的な存在」と言い換えることもできます。「細部」とは、我々の日々の行動の細部、人生の細部ということです。

「細部へのこだわりを実行に移す」というこの発想は、最近ではデザインの分野のみでなく、スポーツやマーケティング、モノ作りの分野からエコロジーの考え方まで広く言われだしました。もっと範囲を拡げると「武芸」も能、歌舞伎などの「伝承芸能」もその基本は同じです。
 経営学で言う、物づくり、サービス業、「お客から始まり、お客で終わる」というサプライチェーンも、武芸、芸能あるいは禅などの「呼吸に始まり呼吸に終わる」という日常修業も実は同根なのだという認識を持って頂きたいのです。正しい基本を維持するためには、つねにブレを修正する調整能力を磨くことが大切です。微細で微かな変化を感じ取れる身体感性を維持し続けるために倦まず努力をすることです。(ここは大事な部分です)
 20年前に私が提唱し、講座を持った「心身経営学」とはこういうことです。

 それはどういう意味なのか、歴史を遡って、その一端を見ていくことにします。
天才といわれるごく一握りの武術家は、瞬時に身体感性を体得できる人間です。天才の中の天才、宮本武蔵は13歳から29歳までに60数回の決闘を行い、無敗だったそうです。しかしその宮本武蔵も、年老いて中津藩主・小笠原長次の後見として島原の乱に出陣して、一揆側の投石で脛を負傷し戦線離脱してしまいました。
 年老いて、修正・調整能力が失せ、飛び道具には弱かったということです。
 考えて、実践し、また考えて、実践していく、その調整活動が、正しい設計(戦略・戦術)に基づきなされたときに、その武術家は、「名人」になれるわけですが、歳と共にその思いは強くなっても身体が言うことをきかなくなります。

 能の大成者、世阿弥能楽論「風姿花伝」の第一に「年来稽古条々」というものがあります。
人生50年といわれた室町時代世阿弥は人生を7歳から7分割し、自らの限界を知る心こそが、奥義に達した者の心得であると述べています。60歳まで現役で舞台に立ち、80歳まで生きた世阿弥
 44、45歳の頃は、 「もしこの頃まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ」とこの時期、衰えてなお、輝くものがあれば、それこそが「まことの花」なのだと述べています。
 そして「我が身を知る心、得たる人の心なるべし」と自らの限界を知る心こそが、奥義に達した者の心得であると述べています。
風姿花伝」の最初に、「稽古の条々、大概しるし置くところ」として、
「一、好色、博奕、大酒。三重戒、是、個人の掟」
「二、稽古は強かれ、情識は無かれ、となり」とあります。一は言うに及ばずだが、二の言葉はじっくりと吟味しなければなりません。
 「情識」とは、慢心に基づく強情な心という意味です。世阿弥は、繰り返しこのことばを使っています。世阿弥にとって、「芸能とは人生をかけて完成するものだ」という考えなのです。
 そして「年来稽古条々」に書かれた最後の言葉は「『老骨に残りし花』の証拠なり」とあります。
 父観阿弥が52歳の時、最後に舞った能を見た時の世阿弥の言葉です。
 老いて頂上を極めても、それは決して到達点ではなく、常に謙虚な気持ちで、さらに上を目指して稽古することが必要だと、世阿弥は何度も繰り返し語っています。
 誠に慢心ほど、人を朽ちさせるものはありません。

 「劣化」を超えて「醜悪」になってしまったこの日本社会、指導者は言い訳・弁解のオンパレードです。彼らの心の底には、いずれも慢心があります。慢心とは、偏った思考に遮られ、己が見えず、激しい思い込み、おごり高ぶった心をいいます。慢心の裏には猜疑心とギラつく野望、劣等意識が常にあります。
 中途半端な「慢心」は実は一番質が悪い。日本だけではなく、朝鮮半島の、韓国の文在寅大統領と北朝鮮金正恩朝鮮労働党委員長の2人も危うい。
 本業の不動産投資の延長のような思いつきで、保護貿易固執しすぎるトランプ大統領。結局、自分で自分の首を絞めそうな予感です。
 強烈な中華思想をその基本として習近平国家主席が主導する「一帯一路」構想。莫大な先行投資をして、背負い込んだ負債は地球規模の「負債」となっています。今後も米中両大国の経済の軋轢は更に厳しくなり、今のところ両者妥協する気配はない。果たしてどうなりますか。 
 実は、米中の対立は、日本が一番とばっちりを受けることになります。日本は「劣化」を超えて、はや「醜悪」が、いろいろなところで顕在化していますが、「日本」という国家力としてはまだ世界に影響力を持っています。ここ数年がその限界点と思っています。
だからこそいまここで、日本の基層精神性をじっくりと考えてみることが必要です。その考え方の基本とプロセスは、私の「言挙げぞする」をご覧下さい。下手な学者の言よりも、遙かに役立つと自負しています。(是は「慢心」ではありません。年のため)
 何れにしても「ごまめの歯軋り」と落ち込まず、根気強く「言挙げ」し、私のようにいろいろと主張する人間がいてもいいと思っています。
 「老骨に 残りし一葉 紅冴えて 散るも残るも 霧の天風(あまかぜ)」(省吾)。
                                                           2018.11.20  春吉省吾 ⓒ
●2018.11.20東京世田谷区の公園で
今年の東京の落葉樹は、腐ったような紅葉が多い。
●2018.11.3福島市の「福島県立美術館」に続く遊歩道。毎年この時期に訪れるが、鮮やかさは、東京都心とは随分違うが、今年の紅葉は劣化していると感じた。
●2018.11.3福島県立美術館
義父と義母の法事のあと、時間が余ったので常設の「ルオー」と面会にいったのだが、「ルオー」の数点は外されていた。特別展の「佐藤玄々」展が開かれていた。東京日本橋三越の「天女像(まごころ像)」 は有名だが、木彫、彩色木彫、ブロンズ、墨絵とジャンルも広く、凄い才能の持ち主と知った。小物の木彫は絶妙の存在感があった。「基本」が出来ていれば、職人としての表現が異なるだけだ。能力があれば、表現に素材の壁はないのだろう。
玄々の哲理を見た思いがした。
穏やかな日曜日の午後、観覧者は疎ら。じっくり鑑賞できたのはいいが、はたして喜んでいいのかどうか?
まあ、東京の展覧会は中途半端に知ったかぶりした人集りを見に行くようで、疲れるし、かまびすしい。思いがけない「特別展」、私にとっては最高の展覧会だった。
●2018.11.19近くの散歩道。寒椿。紅白。

 

 

「秋の遠音」と「初音の裏殿」 VOL.47

 

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写真の説明

●谷中の墓地への入り口の一つ
●谷中のお寺「天王寺
享保年間には富くじ興行が許可され、湯島天満宮目黒不動龍泉寺とともに江戸の三富と称されるほどに賑わい、広大な敷地を持っていました。上野戊辰戦争では、彰義隊の分営が置かれたことから、本坊と五重塔を残して堂宇を全て焼失、さらに昭和32年の放火心中事件で五重塔を焼失した。

●谷中の墓地の近くをロケーションしたのは、この近くに「初音の裏殿」の隠れ家の場所を設定するためです。
●谷中の墓地は、有名な人物が多く眠っていますが、最初に目に付いた墓が、何と「高橋お伝」の墓でした。
稀代の毒婦と言われた女です。ご興味があれば、ネットで調べて下さい。
 かと思うと、実直そのものの「日本植物学の父」といわれた、牧野富太郎博士のお墓もあります。谷中の墓地はお墓マニアにはこたえられない場所でしょうね。
鶯谷駅下の交差点近くのレストランに何気なく入ったが、ここのビーフシチューが美味かった。有名店でないところに入って、そういう出会いがあると、実に得した感じになる。

●友人のグループ展示会を拝見するために、久しぶりに銀座へ。一年半ぶりの銀座は、すっかりかわってしまった。もともとの田舎者が、更に田舎者になったようだ。
 昼食を、同伴した友人に御馳走になったが、どの店も賑わっていた。日本はお金持ちの国なのだなあと、つくづくおもう。
●右は「對間新吉画伯」の3作品。

 

 私事ですが、お陰様で病気も快癒し、現在体力増強をはかりつつ、長編時代小説四季四部作の最後の作品「秋の遠音」を鋭意執筆しています。

 物語の後半、「大牟田弁(正確には三池地方の言葉)」を使う人物が登場します。大牟田出身の作家の作品や、方言集やCDなどを参考にして、「会話」を書き進めています。しかし江戸期の方言は、現在では正しく検証することは不可能に近く、そこにあまり拘ると小説が成り立たなくなってしまいます。
 妥協点をどこにおいて記述するかという判断も大切です。

 今から7年前のこと、四季四部作の最初の作品「冬の櫻」をお読みいただいた読者の一人から、
 「何十年も会津に住んでいるが、先生の作中の会津弁は、違うのではないか」
 という指摘を受けました。しっかり読んでいただいている証拠だと思ったものです。
 実は、初代会津藩主の保科正之公の時代は、信濃高遠3万石から、出羽山形20万石を経て、陸奥会津23万石と、石高が急増して、前領地の武士を雇い入れないと藩政が出来なくなる事態になりました。異母兄の三代将軍家光の信頼を得て急成長したからです。  
 当然、地縁(言葉の違い)などによって、姻戚もグループ内で行われ、派閥が形成されます。
 「初代正之公の時代は、会津武士といわれる一枚岩のものではありません。私の小説に出て来る会津言葉は、出羽山形を出自とするグループと、地元百姓衆の使う2種類を使い分けていますが、現在使われている会津弁とは大分違うはずです」
 と説明し、納得いただきました。江戸期の方言表記は、時代、身分の違いなどによって大きく変わってきますので、実に難しいです。

 さて、「秋の遠音」は1万石の奧州下手渡藩・三池藩の物語です。下手渡藩については、地元の方もどういう理由でこの藩が成立したのかあまりご存じないようですし、現在の大牟田市から見れば、「下手渡」という言葉も「?」ということでしょう。
 昨年、前の仁志田昇司伊達市長が、下手渡で開催された私の講演会にお見えになり、
 「この小説が出来あがり、その縁で、伊逹市と大牟田市の交流が、一層盛り上がるといい」
 と仰有っておられましたが、上梓したあかつきには、須田博行新市長にも、両市発展・交流の起爆剤として拙著を役立てて頂ければありがたいです。
 物語は、11代将軍家斉、寛政の改革で知られる松平定信の時代からはじまります。
 弱小一万石の三池藩藩主立花種周は、政争に巻き込まれ、突然の蟄居の後、嫡子種善は奧州下手渡に移封されます。「下手渡藩」は現在の福島県伊達市月舘町を中心とし、川俣、飯野、霊山にまたがる小さな領地です。筑後三池と、奧州下手渡とはおよそ370里も隔たり、気候も風習も言葉も違います。
  時代は下って幕末。嘉永4年(1851年)、下手渡藩一万石の内、3078石を返上し、旧領地5ヶ村の5071石の藩地替えとなります。主人公の吉村土肥助(春明)が先発として、三池に赴任します。三代下手渡藩主は、当時数え16歳の立花種恭(たねゆき)です。
 石炭採掘で財をなした塚本源吾と深く交わった土肥助は、のちに禁門の変に敗れた真木和泉の影響を強く受け、尊皇攘夷思想に染まっていきます。しかし、土肥助は志を折って、藩主種恭の側に仕えることになります。やがて種恭は、三池炭鉱の増産により、資金を得て、若年寄に出世します。その後種恭は、幕府要職を次々と務め、将軍慶喜の時、ほんの数ヶ月でしたが、老中格にまで進みます。
 種恭は十四代将軍家茂、前述の十五代将軍慶喜小笠原長行、松本良順の縁から新選組近藤勇土方歳三小栗忠順などとかかわります。
 一方、土肥助は、三池と下手渡を何度となく往復する旅の途中で、旅籠を同じくする坂本龍馬とも顔見知りになります。
 また、土肥助と朋友である奧州下手渡藩を守る国家老の屋山外記は、やむを得ず奧州越列藩同盟に参加します。そうしなければ、仙台・米沢・二本松・相馬などの大きな藩に忽ち潰されてしまいます。三池は早くから勤皇になり、下手渡は佐幕の一員となり、藩は真っ二つとなります。
 弱小藩故に、 時勢を読まないと、藩そのものが忽ち危機に陥ります。藩主は勿論、家臣と家族、領民にとってどうすれば最善の策なのか、それぞれに悩み考え乍ら、遂に激動の幕末、明治維新を迎えます。

 原稿用紙2000枚以上に及ぶ、四季四部作の「長編時代小説」シリーズはこれでようやく完結します。各作品は、時代も背景も違いますが、季節の「春・夏・秋・冬」のそれぞれに深い意味を持たせたつもりです。これら「超長編」が読者にとって、人生のスパイスとなり、楽しんでいただければ嬉しい限りです。
 これまで私は、小編や中編を書かずに、頑なに「超長編」に拘りました。その主たる動機は、高齢になってから長編を書いた著名な作家先生方の作品の多くは、ストーリーが単調で、陰鬱で、説教調に陥る作品が多いのです。超長編を書く気力が喪失してしまうからでしょう。
 そうならないように、私は、長編はむしろ最初に書くべきだという強い執筆意志を持ち、ここまで実践してきました。次作からは、中編、小編が主となります。
 私の次のライフワークは幕末期の 「初音の裏殿」という架空のアウトローの中編物語です。

 主人公に「からみ合う人物」が毎回変わる15から20篇程のシリーズ物です。判りやすく言うと、吉村昭先生のような正確な史実を土台にし、池波正太郎先生の「鬼平犯科帳」「剣客商売」、「仕掛人・藤枝梅安」などの大衆小説のエキスを採り入れ、疾風怒濤の幕末を、主人公が躍動します。
 これまで幕末の英雄と思われていた人物が「敵役」になるかもしれません。面白い作品作りの予感に、闘志がふつふつと湧き上がる反面、半端な苦労では済まないと腹を括っています。
 長崎、佐賀、大阪、京都、三河、江戸と日本のみに留まらず、琉球、香港までも舞台として、幕閣、尊攘家、豪商、皇族公家を含め、あらゆる階層の人間模様を描く物語になります。今から「お国言葉や公家言葉」に悩まされるに違いないと覚悟しています。お楽しみに。春吉省吾ⓒ