春吉省吾のブログ

物書き・春吉省吾のブログです。マスメディアに抗い、大手出版社のダブスタに辟易して一人出版社を営んでいます。おそらく、いや、世界で最もユニークな出版社だと自負しています。

随筆「言挙げぞする」のテーマ VOL.39

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新宿駅南口 サザンテラスと、新宿貨物駅跡にできた タカシマヤタイムズスクエアを結ぶイーストデッキ。このうえから眺める新宿駅もなかなかいい。

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6番線には成田エキスプレスが発着している。

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NTTドコモ代々木ビル、時計台が印象的だ。

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右のビルは、去年の11月末から今もお世話になっている総合病院。新宿南口からは歩いて5分とかからない。

 

 山手線や地下鉄に乗っている7~8割の乗客がスマホを弄っている。私は、今でもこの景色とその雰囲気になじめない。これは日本独特のものなのかと調べると、シンガポールの地下鉄でも、バンコクでも台北でも同じ様な光景が見られるという。
 ただ、マスクをしている歩行者が異常に目立つのは、北京を除くと日本ぐらいだと思う。かく言う私も、十数年来のアレルギーと花粉症で、外出時には使い捨てマスクをしている一人だ。
 今年は、目も鼻も喉も、嚔もかつてない程激しく反応している。花粉症と付き合うことは、生きている証拠だから、感性が鈍くなるよりは、遙かにましだと思うことにしている。
 鈍いというと、自らの職務に対し、政治家、官僚の鈍感さは目を覆うばかりだ。確かに、官僚の中には、ずば抜けて頭の切れる人物が多くいる。しかし、その知恵は全て自己保身で、地に足が着いていなかったらどうであろう。国民のための政府・省庁ではなく、責任回避と組織保全が最優先なのだ。そのツケは全て日本国民が負わされる。堪ったもんじゃない。
 大臣や官僚の答弁は、その場逃れで、空虚に響いてくる。追及する野党の言葉も、十年一日の如く使い古された言葉から一歩も出ていない。
 政党、各省庁に止まらず、日本のあらゆる組織のたかが緩み、惰性に落ちている。それは、非営利団体の協会、連盟などにも蔓延している。企業であれば、常に革新しなければ、存続も危ぶまれ、社会から淘汰されてしまうという緊張感がある。しかし上述した組織にはそのような緊張感は無い。マネジメントの何かを知らない人間が、たまたま権力を握ってしまうと、その多くは特別偉くなったように勘違いをしてしまう。彼等は判断基準になる物差しを持ちあわせていなものだから、目先のことしか見えないし、自分にとって都合のいい決断しかできない。彼等にとって、将来その組織がどうあるべきかということは考えられないのだ。
 拙著「言挙げぞする」という随筆は、「歴史観」「宗教観」を根本から見直そうというのがテーマだ。日本人は実に優秀な民族だが、調子に乗りやすく軽薄なところがあるのは否めない。それは今に始まったことではない。
 歴史の転換点を見ても、軽佻浮薄は、明治維新以来のもので、何ら是正されていないし、むしろ悪しき慣習は一層増幅された。塗炭の苦しみを味わったはずの73年前の太平洋戦争の敗戦以降も、掘り下げた歴史認識をしてこなかった。そして今、中途半端なまま、我々は近未来の環境を一気に変える「シンギュラリティ・Singularity(技術的特異点)」の地点に立っている。シンギュラリティとは、AIが人類の知能を超え、それがもたらす世界の変化のことをいう。
 我々は18世紀後半から19世紀前半の「産業革命」などよりも遙かに激しい、人類史上最も矛盾を抱えた世界に生きているのだが、なかなか実感が伴わない。
 流されるままに生きて、人生の濃さを知らずに、逝ってしまうのは最高のシナリオのひとつだろうが、そうは問屋が卸さない。残念ながらそういう方は、最後の最後に「こんな筈じゃなかった」と悔やむのだ。だがその時は手遅れである。生死観が定まっていないと、軽薄な慣習、誤った伝統に翻弄されたまま、本来知るべき人生の濃さを知らずに人生を終えることになってしまう。
最近、散歩していると、「顔付きの悪い」中年・老年者と擦れ違うことが多くなった。
 「生きるための物差し」が無いから、物欲と世間体を気にしながら、漠とした不安にさいなまれている方が増えているのだろう……。これは辛い。 
 「言挙げぞする」は、そんな不安解消に、多少なりとも参考になれば、筆者としては嬉しい限りだ。
                               2018.4.13    春吉省吾

 

 

 

「言挙げぞする」と桜の経年劣化 VOL.38

 

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毎年続けている定点観測。今年は開花が早かった。

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早咲きのツツジ

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河津桜。大島桜と寒緋桜の自然交雑種であると推定されている。

 

「言挙げぞする」の最終校正の息抜きに、近くにある遊歩道の桜を見に行った。今年は例年より開花が早く、あっという間に満開になってしまった。しかしここ数年、桜の花びらが色褪せ、白っぽくなって本来の張りのある色が薄くなり劣化しているように思える。
我々が目にする桜の8割は、ソメイヨシノといわれる品種で、手入れを怠ると60年ほどの樹齢だという説もあり、近年、代替品種への植え替えが行われている。
ソメイヨシノは、江戸時代末期に江戸染井村(現在の東京都豊島区)の植木屋が「吉野桜」と称して売り出した、200年に満たないサクラである。
日本人に長く親しまれている山桜に比べると、ソメイヨシノはサクラ界の新参者である。
明治維新後の新政府は、「廃仏毀釈」をはじめとして、徳川時代から続く様々な体制を排除した。
あろうことか桜の名所にあった山桜は、政府の意向で新しく登場したソメイヨシノに植え替えられ、あっという間に全国に広まった。
もともと人が接ぎ木をして作ったソメイヨシノ。植えられて40年経ったころから弱り始め、何も手を掛けずにいれば衰退はいっそう進み、60年を過ぎると経年劣化が早まり、無残な姿になってしまうという。
戦後、公園や遊歩道に植えられたソメイヨシノは、私の感覚を俟つまでもなく、明らかに花びらが、白っぽくなっている。ソメイヨシノは単一クローンであるため、全ての株が同一に近い特性を持ち、突然変異以外に新しい耐性を獲得する可能性はなく、害虫による食害、環境による樹勢低下など一斉にその影響が現れる。山桜のように力強くないのである。
ソメイヨシノの劣化現象は、明治維新以来、あるいは敗戦後、歴史観や宗教観を、根本から精査することを怠ってきたツケが廻った我々日本人の有り様と驚くほど相似している。
自然種の山桜(吉野桜)、大山桜、大島桜などは、樹齢が長く、江戸彼岸桜などは、樹齢2,000年、1,500年など、いきいきと大地に根を張っている巨木もある。
人為的に作られた、ソメイヨシノはひと言で言えば「非常にひ弱」なのだ。自然種のように厳しい環境で根を張って自生することができない。「生きる」厳しさに耐えられないのだ。
「桜の劣化が、大変なことになっている」と騒ぐのも大切だが、自分自身の近視眼的な歴史観や宗教観をしっかりと見直すことが先決で、「その後に桜の心配をせよ」と言いたい。
現代社会では、大学受験・就職と、20代30代前半で全ての勝ち負けが決まる硬直的なシステムになっている。これは官僚システムに著しい。しかし実社会での体験を経て、本質的な勉強が必要だとわかるのは30代後半から40代なってからなのだ。その時期に、ハウツーに陥らずに、物事の本質を学び精神の土台を自分自身で学んでおかないと困ったことになる。
日本人の平均寿命は、男性が80.98歳、女性は87.14歳となり、健康寿命は男性が72.14年、女性が74.79年。寄って立つ「足場」を養生しなければ、ソメイヨシノのように、受身でただ生きているだけとなってしまう。老後は長い。まして我々人間は、確たる「生死観」を持たないと、精神の荒廃した悲惨な老後が待っている。最低限の経済保障、身体的な健康は勿論だが、自分で考え納得できる「生死観」、生き方を掴まないことには不安が増殖するばかりである。
拙著、「言挙げぞする」をお読みいただければ、今貴方に何が必要か、その覚悟のあり方も含めて、皆様のお役に立てると信じている。
                               2018.4.3    春吉省吾

 

「言挙げぞする」5月12日上梓です。VOL.37

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ここ1週間ほど、本文の修正や誤字をチェックしながら、DMや、申込書も作成していました。
お2人の方に校正をして頂きましたが、筆者としても、何度も見直しをしました。Just Rightという、校正ソフトも援用しましたが、新聞などの表記の一般的なことにしか対応していないのであまり役に立ちません。まあ、日本語は難しいということを改めて認識しています。
DMのメインのコピーにはこんなことを書きました。

日本人が明治維新以来、疑いもしなかった「常識」は、本当の「常識」ではない。
長きに亘り、歪んだ「常識」を鵜呑みにし、「言挙げしなかった」日本国民は何度とな
く奈落の底に突き落とされた。
今や地球上のあらゆる自然は可逆的に暴れだし、欲望の資本主義はコントロール不能
このような激変する世界に向き合うためには、歪んだ「歴史観」・「宗教観」を
質さなければ、あなたの明日の土台は定まらない。
借り物の「生死観」では、この先を乗り切れない。
ならば、我々は視野を遙か遠くに拡げ、一万六千年前の縄文時代の精神をもとに、
近しい歴史を見直し、生ききるために「言挙げ」しなければならない。
本書は、日常茶飯の「今」に、本来の面目を求め、日本人が失ってしまった魂を呼び戻す、日本人必読の哲理的随筆集。

内容的には、殆どの方が驚かれる内容でしょう。本来、こういう随筆は、学者の領域で、私のような、門外漢が書くようなことではないのですが、誰も書かないので「言挙げ」しました。
宗教、哲学などの本質に踏み込んでいますので、少し硬派な内容もありますが、本来は日本人としてきちっと知らなければならないことです。18の各章は以下の通りです。

●はじめに──「歴史観」と「宗教観」の見直しを 
●むすんでひらいて──人間の本当の器とは 

●勝つにも芸を──AIと人間の可能性 
●「守破離」と鮨職人──技や芸の基本とは
●凝れば正しさもまた……──柔らかな発想こそが求められる
●死にとうない──仙厓和尚の生への願い 

●人生は四つの「直し」──問題解決のための道筋 
●なかいま──今を生ききる大切さ 

●失って得られるもの──言葉狩りと自主規制
●気とエントロピー──生命力を高める方法 
●越えてみればもぐらの山よ──成功も失敗も我が内にあり
●神仏儒の混合──日本人の行動原理と精神構造 

道教の影響力──本当の神道は縄文の中にあり
儒教の宗教性と仏教──本当の儒教を知らない日本人
●清貧か豊かさか──貧しい民主主義か、豊かな御都合主義か
●絶望の淵から「不二一体」へ──空海の思想から我々が学ぶこと
●時世のつみ(罪)ごと──世界視野から戦争責任を考える
●あとがきにかえて ──生死観などについて
 こういうジャンルの随筆は、今までなかったものですから、上梓まで数回に分けて、ご案内させて頂きます。まあ、お読みいただければ一番早いのですがね。    

                                                                          2018.3.26春吉省吾

 

9月「風浪の果てに」から「秋の遠音」へ 今年も残り3分の1、全力投球! VOL.31


●2017.8.14福島市の弁天山からの展望。
「風浪の果てに」の本文44ページから48ページ。主人公、沼崎吉五郎と京が、しみじみと城下を見下ろした同じ場所に立った。
中央には阿武隈川が流れ、その後ろは、福島城跡、現在は福島県庁。左の橋は天神橋、江戸期では奥州街道、福島宿の入り口であった。その手前は福島河岸。米沢藩を始め、江戸へ回漕するための米蔵が並んでいた。
この地点は、安寿と厨子王と母が、暮らしていた「椿館」の跡と言われている。

●弁天山・椿館跡。安寿と厨子王と母が、ここから旅立った。

●弁天山・椿館跡。この日、一時間ほど散策したが、誰にも出会うことがなかった。福島の中心から車で10分。最高のロケーションなのだが…。蝉時雨が何故か寂しい。行政の宣伝不足か?「風浪の果てに」、「春のみなも」も、市長はじめ、まともに読んでいる市の職員は少ないだろうからな……。

●持ち寄りの大御馳走。暑気払いを兼ねた「同級会」。風流な三味と、小唄も。

●福島近郊の8月14日、稲の生育は良好と思われたが、その後の長雨と日照不足でどうなったか心配だ。

●9月に入って、朝のウォーキング。
中野通りと方南通り、新宿に続く南台交差点近くのサルスベリの並木が満開。
 ◆私のスケジュール帳は、9月始まりなので、毎年買い換えるたびに8月までの事を振り返ります。 
 ここまで、相変わらず多忙でした。忙しさの筆頭は、3月に長編小説「風浪の果てに」を上梓し、福島脱藩浪人沼崎吉五郎という人物を「生き返らせた」ことです。
 事件に巻き込まれ、伝馬町に繋がれた吉五郎。西奥揚屋の牢名主となり、吉田松陰の遺書「留魂録」を預かり、三宅島に流されて15年。明治7年に赦免になり、東京に戻ってきます。その2年後に、松陰の妹二人を嫁にした楫取素彦に連絡を取るが叶わず、ようやく「留魂録」を野村靖に手渡します。以来、吉五郎の足取りは杳としてわからないままでしたが、「風浪の果てに」では、その後の吉五郎の悠々たる人生を描いています。ヒロイン達も活き活きと描ききったつもりです。
 勝てば官軍、生き残った長州閥の跋扈によって、現在も根強い長州人脈が存在し、彼等の実力は過大に語られています。楫取にしろ野村にしろ、久坂玄瑞にしろ、2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で描かれるような人物ではありません。司馬遼太郎さんの、幕末、明治維新の人物描写もそのまま鵜呑みにせず、吉村昭さんの幕末の小説を読むことをお薦めします。
 
 「風浪の果てに」の脱稿から上梓までの間に、編集作業、表紙や、本の装丁等々、印刷業者との打ち合わせ、ネットへのPR、チラシ作り、パブリシティ活動など、作家活動の他にもあらゆる作業を独りでやっているため、年末も正月もありません。(いつものことです)
 加えて、上梓間近の2月に田舎の母が、大腿骨頚部骨折で入院した事も重なって、東京・福島間を往き来し、疲労はピークでした。
 ようやく「風浪の果てに」が仕上がって、私のところへ運ばれてきましたが、運搬員が、車をぶつけてミラーを壊したとかで、ブツブツ言うだけで、まともに働かず、本の搬入を殆ど一人でこなしました。いゃあ、大変でした。「本は重い」のです。自作の本は尚更です。
 疲れが更に重なって「帯状疱疹」の痛さも経験しました。
 まあ何とか世に出した「風浪の果てに」は、3月25日の週の、セブンネットサイトの「新着・本・コミック」1週間売上ランキング1位になりました。作家としては、もっと多くの方に読んでいただきたいのですが、何分超零細出版社で、取次も、東販の下請け会社なので、販売力は微弱です。何れ何とかしたいものです。読者の方々の中で流通・取次会社の「つて」をお持ちでしたら、ぜひご紹介・仲介をお願いいたします。

 弓道の早朝稽古は、週2回、何とか時間をやり繰りして続けています。6段を取得してから、武道、特に弓道の本質は体軸と手の内にありという信念から、中りを度外視して、基本からやり直して2年、最近ようやく、微妙な「技」の感触が10射に1、2射、体感できるようになりました。
 46歳からはじめた居合も今年で20年。やはり体軸と手の内、技の緩急を身体に覚え込ませるために、ここ半年、隙間時間を縫い、毎日、抜きの稽古をしてきました。短い時間でも、精神を研ぎ澄まさないと、本身(真剣)ですから、怪我をしてしまいます。
 お陰様で、6月末日に大阪で行われた、全日本剣道連盟居合道の6段審査に合格することができました。
 これで、弓道居合道も6段を頂き、時代小説を書く上で、弓や刀の扱いを描写する際の、リアリティは他の作家よりもあると、自負しています。
 そんなことから、役者達が、弓と剣を扱うシーンを映画やテレビの中で見ると、どれだけ熟達しているかという観点からつい眺めてしまいます。
 昭和の有名な時代劇スターでも、まともに弓を扱える役者は残念ながら一人もいません。剣の扱いが上手な俳優は、昭和の初めから現在まで、勝新太郎さんただ一人です。視聴者を喜ばせる事を重視する殺陣師さん達も、見てくれだけでなく、真剣を扱うとはどういうことなのかと、その基本を学ぶべきです。

 現在、長編時代小説四季四部作の最後の作品「秋の遠音」を執筆中ですが、6月に下手渡自治会の渡邊さんという方から、
下手渡藩の事をお書きになっているようですが、下手渡や三池の事をお話しいただきたい」
という依頼がありました。
 執筆途中で、その作品の人物達や、背景などについて講演するというのは、かつて聞いたことがありません。ずいぶんと躊躇しましたが、引き受けることにしました。
 伊逹市月舘や霊山町伊達郡川俣町、福島市飯野町などを含む「下手渡藩」の存在は、地元の方もあまり知りません。また、立花家が下手渡に移封になって45年後、下手渡の一部と、旧領の三池(現在の大牟田市)の一部とが交換になり、1500キロほど東西に離れた双方の管理が必要となりました。
それぞれの郷土史家達の資料は微妙に食い違い、その資料も少ないのです。このままではこの歴史的な事柄が埋没してしまいます。
 講演会で地元の人達と懇談し、この地方の歴史を再認識して貰い、地元の活性化に少しでもお役に立つことが出来ればいいなと思っています。
 というわけで、この9月10日に、伊逹市の「下手渡地区交流館」で講演して参ります。
すぐ隣には、「つきだて花工房」という、自然の中に建てられた宿泊施設があります。良いところです。機会があれば訪ねてみてください。今回は残念ですが、そこには宿泊しないで戻ります。
 ともあれ、戦国時代の九州の猛将、高橋紹運の子立花直次(兄は立花宗茂)を藩祖とする三池立花家が、遠く東の奧州下手渡に移封となり、最後は三池に戻る、廃藩までの歴史は、幕末・明治初期の激動を舞台にした、壮大なスケールの大河小説に相応しいものです。
 ここ数日、PowerPointで、講演会用のスライドを作っていました。 
 その講演会の報告は9月の後半にお届けできると思います。お楽しみに。
                            2017年9月6日 春吉省吾

「風浪の果てに」をお読みいただいた読者の方々からの感想その1

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私にとっては、文壇のどんな大家の先生からのお褒めの言葉より、本当に楽しんで読んでいただいた読者の方々からの読後感想文が励みになります。
今回、ご紹介するのは、私の既刊を全てお読みになっていらっしゃる、いわば馴染みの読者の方々からの感想です。(多くの方の目に触れるブログですから、実名は表記しません。)

K.S 様
春吉 省吾先生
寒の戻りのような日となりましたが、相変わりませず精力的に諸事をこなされておられます御事、お便りにより拝察いたし敬意を表しております。
「風浪の果てに」は現在再読中ですが、これまでお便りをいただいておりましたので行間を照らしあわせながら、且つ、先生が脱稿の際に不覚にも・・涙が止まらず云々は、感動的な言葉でありましたので心して拝読させていただいております。お蔭様で「風浪の果てに」の作品に酔いしれております。
この先作品の構想を伺っておりますが、先生がおっしゃる「春吉ワールド」 であり「技を磨くための呻吟」というお言葉をかみしめています。
なお、私は、吉田松陰のことや長州藩のことは表面的なことしか存じませんので、学ぶところ大なるものがありました。
この先家内との記念旅行にし、萩市を訪ねたいと計画しています。
(再読されていらっしゃるとのこと、誠にありがとうございます。次作も頑張らなくてはいけませんね・省吾)

T.S 様
読み終わりましたよ〜。
2日で読破しました、骨折して時間もあったと言えますが、最近、読書していて600ページ近くある本を2日で読破は何年振りでしょう。
それだけ面白く、早く読みたいと思った小説は近年ありませんでした。
唯一つだけ読み終わるまで、いや、読み終わってもどっち何だろうと言う疑問があります。
主人公の「吉五郎」の読み方ですが、私は、「キチゴロウ」と意識しながら読みましたが、文中に「吉さん」と来ると、無意識的に「ヨシさん」と読んでいる自分がありました。
本文の頭に配役表が有りましたが、「吉五郎」の所にルビを振って貰いたかったなと思いました。
読んでる中で、表記が変わると、アレ⁉︎「きち」?「よし」?と集中出来ませんでした。
ただ読んでいて思ったもうひとつのビックリは、取材が大変だったろうなあ、と思いました。参考文献もあるでしょうが、これだけのスケール内容を「吉五郎」と「松陰」の生き様に的を絞って対比させながら展開して行くストーリーは現地取材を緻密にしながら、参考文献を紐解き、照らし合わせて行くという手法で書き上げていかれたのではないかと、私なりに思ったのですが、とにかく「凄い」です。良くここまで書き上げられるもんだと感服いたしました。それと、男女の交わり描写が、全作品のうちで最高でした。
この執筆の為、予習取材を敢行したわけではないですよねー^_^
面白く読むことが出来ました、ありがとうございました。
(残念ながら、予行演習はしていません。物書きは「妄想家」でもありますので……。お怪我の恢復を心よりお祈り致します・省吾)

S.O 様
(その1)面白い。本当に面白い。昔少年の頃、吉川英治の「宮本武蔵」を寝食を忘れて夢中になって読みふけった事が思い出される。まさに春吉省吾先生のめざす「長編だが 理屈抜きで一気に読める面白い作品」になっているではないか。
とはいうものの、私が今、読み終わった分はまだ100ページそこそこです。これからほんとに面白いところが読めると思うとワクワクします。たのしみです。
(その2)イヤー、ボリュームありますね。よく調べましたね。幕末の時代背景、江戸の地理、歴史、生活それに武道の事、男女の機微にいたるまですっかり自分のものとして取り込んであるので、面白く読めます。改めて春吉先生の筆力に脱帽です。読むのが遅いのでまだ170ページです。
(読了してからの感想もお聞きしたいですね。楽しんでお読みいただいているようで、嬉しい限りです・省吾)

S.K 様
今読み終わりました。「面白かった!!」
生活の雑事にまぎれて、とぎれとぎれの不まじめな読者でしたが、ページをめくるのが楽しみでした。作品中の女性たちの何と魅力的なこと!!
私の読書の癖で、映像化すれば吉五郎が、渡辺謙、真沙は若い時(?)のかたせ梨乃、京は若村麻由美、芳は………。続きは貴君の来福時の酒の肴にしましょうか。
(福島市在住の友人で、何と幼稚園からの同窓なのです。福島へ寄った折に、一献・省吾)

S.N 様
長編ですので、時間をかけてじっくり読まさせて頂きました。
長いあいだ温め緻密し調べながらお書きになっただけに歴史の中へも引き込まれましたし松陰の生きざまも良く判りました。
ストーリーでもハッピーエンドかと安堵しておりましたら、最後まで不幸にさせてしまう可哀そうな残酷物語ですね。
編集後記に自分で書いて自分で泣けたという事もなるほどと言う気がします。本当にこんなに凄い大作に触れさせて頂きありがとうございました。
この感動を多くの方にもお伝え致したいと思います。
(この物語は世間一般のハッピーエンドではありませんが、ある方から直接にこんな言葉を頂きました。
「厳しい境遇を生きた主人公ですが、読み終えて、何故かほのぼのとした気持が広がりました。この小説の不思議なパワーですね」・省吾)

●春吉省吾から皆様へ
上記の読後感想文は、過大なお褒めの言葉で、恐縮しております。敢えて、存じ上げている方々の読後感想文を掲示させていただいたのは、身を引き締めるためもあります。
内容もよく判らない本を購入いただいて、人生の貴重な時間を費やしてお読みいただくのですから、物書きの責任は重いと思っています。
ところである読者から、
「私は短編が好きなのです。平成30年より『初音の裏殿』が上梓されるとチラシで知りました。とても楽しみにしているので、出来上がったら教えてください」という、お手紙を頂きました。
今までずっと長編を書いてきましたが、大衆作家を目指す私としては、読者の意見を尊重します。シリーズの「初音の裏殿」だけでなく、短編、中編も、今年より書いていきたいと思います。
いつも頭の中に、数作分のストーリー構想があり、資料収集は常にしています。
テーマや時代背景などによって、読者の好みが違うのもまた事実です。大衆作家を目指すと言っても、全ての読者に「受ける作品」は、私には書けません。それに読者に迎合するつもりはありません。ともあれ、長編、短編に拘らず、練り込んだ面白い物語を上梓すべく努めてまいります。今後ともよろしくお願いいたします。
写真は、2017.4.24新緑の代々木、代々木八幡、西原です。

「風浪の果てに」がセブンネットショッピング 新着「本・コミック」の部門で、1週間売上ランキングで第1位に!

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 今日(3月26日)何気なく、配本の欠品状況をチェックしていたら、セブンネットショッピングのサイトに「風浪の果てに」が「新着 本・コミック」の1週間売上ランキングで第1位にランクされていることを知りました。1番はいいですね。2位、3位と違って響きが違いますからね。
 配本状況からして、直ぐに欠品になるはず(事実、在庫無しになりました)なので、束の間のランキング1位でしょうが、大手出版社に互して、零細企業で異端の出版社の「風浪の果てに」が、トップを飾ったのは、嬉しい限りです。
 ここ1ヶ月以内に発売された文芸新刊書の中で、最もボリュームがある書き下ろし時代小説である「風浪の果てに」が話題を呼んだことは、いい感じです。1人でも多くの方に読んで頂ければ作者の本懐です。

 「風浪の果てに」の主役の沼崎吉五郎は、吉田松陰の手紙に「福島脱藩浪人」と紹介されているというのは、何度もご案内致しました。現在の私の故郷、福島市です。ということで地元県民紙にご挨拶に伺いました。「福島民報さん」は3月12日、「福島民友さん」は3月の22日に、それぞれご紹介頂きました。ありがとうございました。
民友新聞には
「歴史の激動期を背景に世の理不尽にあらがい続ける男の物語は、ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を思わせるが、吉五郎が投獄された江戸・伝馬町の牢獄へと舞台が移ってからは、庶民目線を堅く守る作家の幕末史観が色濃く語られ、ひと味違う」
とあり、作家の心情を「忖度」して頂きました。(今や森友学園で「忖度」という言葉がいい加減に使われた結果、すっかり手垢が付いてしまったのは、残念です)
民報新聞は
「独自の視点で幕末・維新を切り取っている。『登場する数人の女性に思いをはせながら読み進めて貰うのも面白い』と、多くの人の目に触れることを願っている」
との記載は、まさしく春吉の大衆小説家としての制作意図のひとつです。
 ありがとうございました。

 さて3月21日(火)気象庁は、東京都千代田区靖国神社にある桜・ソメイヨシノの標本木が開花したことを発表しました。平年より5日早く、昨年(2016年)と同じ3月21日の開花。これは沖縄を除くと全国で最も早い桜の開花宣言とといいます。でも、私の皮膚感覚としては、まだまだ底冷えも厳しいし、4月になってからが、花見の本番だと思います。
 そんなわけで、ここ数年、「桜の定点観測」をしている場所がありまが、皆様にその写真をアップ出来るのは、月が変わって第2週からでしようね、きっと。お楽しみに。 
                        2017/03/26     春吉省吾 

「風浪の果てに」一般発売日に寄せて〜東日本大震災から6年が過ぎま

2011年3月11日に起こった東日本大震災から丸6年が経ちました。あっという間の6年間でした。
昨年の3月10日現在までに判っている人的被害は、福島・宮城・岩手をはじめとして死者は15,894人、警察に届出があった行方不明者は2,561人となっています。
尊い命を突然に絶たれてしまった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。そして未だに故郷に戻れない方々、いまもって行方不明の方々の消息を尋ねておられる、ご親族の心中を思うと胸が痛みます。
大震災から東電の原発事故に至る、日常から「非日常」の天災(地震)と人災(原発事故)は、あらゆる日本人の生活と意識構造を変えてしまいました。
肉親や親戚、友人を一瞬にして失ってしまった方々だけでなく、全ての日本人が、大きな影響を受けているのですが、「俺は関係ねえ、他人事だ。税金を上乗せされるのも納得がいかない」とうそぶく方は、想像力の欠如といわざるを得ません。
大震災と原発事故は感情的なしこりや、補助金等の経済的な問題も含めて、様々な捻れ現象を生み出しました。それらのことは、政府・行政、東京電力はもとより、本来明らかにすべき存在であるマスコミも、現在・将来に亘り、決して国民に具体的な情報公開されることはなく、肝心な部分は隠蔽されたままで、歴史の闇のなかに葬られるでしょう。

無数の情報や憶測が乱れ飛ぶ「情報化時代」ですが、想像力の欠如は今後益々増幅していくと思います。残念ながら情報の欠片に振り回され、多くの人達が、刹那的、享楽的で、「自分自身の物差しで物事を考える」ことをしなくなったからです。(「出来なくなってしまった」と言うべきか) 物事を複眼的に、重層的な関係で捉えられなくなっています。
その物差しを形成する精神的な土台は、宗教的な思想書や、伝統的な文化などによって、伝承され形成されていくものですが、憲法20条によって宗教は尊重されるべきものであるが、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定されており、公立学校の義務教育・高校教育では、空海親鸞道元日蓮などの「日本人の強い意志」の思想を学ぶことは無いのです。これらに確かに含まれる自分の思考の根っこを知らずに、どうして物事を「考える」事が出来るのか。不思議に思います。
我々は日常的な行為をただ流されるままに、無意識にやり過ごしてしまうと、地球規模の権謀術数の坩堝に呑み込まれてしまいます。考える物差しが無いのですから当然です。

西行法師が伊勢神宮に参詣した際に詠んだとされる歌にこういうものがあります。
「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
(ここにどのような神がいらっしゃるのかは 存じ上げないが、身にしみるようなありがたさが こみ上げてきて、思わず涙がこぼれてしまった。)
西行法師の歌を、共感できる嬉しさは、日本人として大切な事ですが、今や我々の身の回りは直截に世界とつながっています。西行さんのように無防備でいるわけにはいきません。かといって、今さら宗教的な思想書など一行も読みたくないという方にお勧めするのが、良質の長編小説です。それもやや硬質の歴史小説・時代小説をお読みすることをお薦めします。
私が凄いと思う長編歴史・時代小説の作家の筆頭は吉村昭さんです。どうしてこんなに詳細な資料を集めて、しかも淡々と書くことが出来るのか。一度お目にかかりたかった先生です。
今回の「風浪の果てに」では、複数の資料の記述が全く違っていて、歴史的に「?」という特定できない部分が多くありました。吉村先生の記述を基礎として、自分なりの判断をさせて頂きました。
幕末・維新の時代、「尊皇攘夷」の嵐の中で、福島脱藩浪人沼崎吉五郎という不思議な人物の苛烈な半生を描きましたが、その主人公の吉五郎は、小伝馬町の牢獄で、吉田松陰と二度同囚になるという偶然によって、「松陰」の遺書「留魂録」を大事に守って後世に伝えました。
しかしその吉五郎は、今までは、松陰の添役にすぎませんでしたが、「 風浪の果てに」では 吉五郎が主役です。
私はこの作品において、自らの死を賭し「狂」をもって尊皇攘夷の志を鼓舞した松陰と、その対極の人生を「生ききった」吉五郎を際立たせたかったのです。
また「勝てば官軍」と、時流に乗って尊皇攘夷活動をした、無知蒙昧な長州人が非道を働き誅されても、維新後に祀られるという、おかしな現象が数多く存在します。勝者の歴史は必ずしも正しいものではないということを知るべきです。しかし「自己の物差し」を持っていなければ、その判断すら出来ないのです。
本作品では、吉五郎が係わった女達に、突然の不幸が度重なって起こり、日常が非日常の悲劇に暗転するその運命は、 東日本大震災に罹災された方々の不幸と同質のものです。そして吉五郎が置かれた立場は、被災されて未だに出口のない方々の心を表象しているかの様です。
我々は、吉五郎のように、繊細な心根を決して喪失しないままに「理不尽に対する耐性」を学ばなければなりません。
東日本大震災原発事故から6年経った今、人生の幸福と不幸は、常に背中合わせにあるということを忘れないことが大切でしょう。突然襲いくる不測の事故は、残念ながら人智を超えて、不可避です。それ故に、我々は与えられた命を、生ききらなければならないという覚悟が必要です。この当たり前のことを、しっかりと確認するために、「風浪の果てに」が少しでも皆様の「物差し作り」にお役に立てれば嬉しく思います。

小説の冒頭P45に、福島の弁天山で、吉五郎と芳の会話があります。
「ふん、何もわざわざ不幸な話を聞いて、更に不幸になることはねえじゃねえか」
吉五郎はぶっきらぼうに言った。
「不幸な話は、私のような女には却って慰めになるんだよ」
「風浪の果てに」の冒頭から、最後の一行まで繫がっております。
じっくりと、お読みください。

「風浪の果てに」は 人間不可避の「生と死」の深部と、激動の幕末維新を組み合わせた「時代小説」ですが、意識が先走り、十分な推敲まで手が廻らなかったこともございます。正誤表と、敢えて拘った言葉の使い方も下記に表記いたしました。
http://norkpress.com/(ノーク出版のサイト)の「Links」をクリック頂ければ幸いです。
春吉省吾   2017/03/13








●「ならまち」の落ち着いたただ住まい。「元興寺」の石塔。早い時間で、拝観客はだれも居ませんでした。
じっくりと係員の方から興味ある話を聞くことが出来ました。ここから新薬師寺まで歩きました。「前に来たときより暗く感ずるのですが」と尋ねると「ええ、前よりも照明を落としています」とのこと 。感性は未だ鈍っていませんでした。奈良国立博物館で特別展「お水取り」を見て、近鉄特急で京都へ。2017/02/21
●京都に移動し、ホテルにチェックインして、毎月21日に開かれる「弘法市」を見に行きました。夕方で撤収が始まっていましたが、賑わいの名残は残っていました。
2017/02/21
真如堂の庭園は何度見ても美しい。
写真2枚。
そこから歩いて、金戒光明寺へ(写真左下)。京都守護職を務めた会津藩主・松平容保が本陣を構えた寺で、新選組誕生の地でもります。聖護院は修験道の寺・山伏の寺だが、皇室とも関係が深い。(写真右下)2017/02/22
知恩院から八坂に抜けて、四条大橋の袂のレストランで食事をして、最後は霊山歴史館へ。
いゃあ、よく歩き、楽しんで参りました。2017/02/22
次回は、皇室・公家の史蹟を重点的に調べに行こうと思っています。「初音の裏殿」の大きなテーマになっています。